中山義秀 中山義秀の概要

中山義秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 23:40 UTC 版)

中山 義秀
朝日新聞社 - 『アサヒグラフ』 1955年10月19日号
誕生 中山 議秀
1900年10月5日
福島県西白河郡大屋村
死没 (1969-08-19) 1969年8月19日(68歳没)
日本 東京都港区虎ノ門
言語 日本語
国籍 日本
最終学歴 早稲田大学英文科卒業
ジャンル 小説
代表作 『厚物咲』(1938年)
『碑』(1939年)
『テニヤンの末日』(1948年)
『台上の月』(1962年 - 1963年)
咲庵』(1963年 - 1964年)
主な受賞歴 芥川龍之介賞(1938年)
野間文芸賞(1964年)
日本芸術院賞(1965年度)
配偶者 真杉静枝
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来歴

生涯

福島県西白河郡大屋村(現白河市)生まれ[1]

1918年に旧制安積中学(現・福島県立安積高等学校)を卒業、1923年早稲田大学文学部英文科卒業[1][2]

早稲田大学在学中に、横光利一富ノ澤麟太郎小島勗らと同人誌『塔』を創刊。小説『穴』を発表[1]。また、帆足図南次と『農民リーフレット』を発刊。

卒業後、三重県立津中学校(現・三重県立津高等学校)で英語教師を務めるが校長とトラブルを起こし、1925年に辞職。親友のつてで千葉県の成田中学校(現・成田高等学校)に英語教師として赴任、印旛郡遠山村東和田に居を構え、教職のかたわら著作業を続けた[1]

しかし、校長排斥運動に連座して職を追われ、妻の死など苦難の後、1936年に最初の小説集『電光』を刊行、小林秀雄に認められる[1][2]

1938年岩瀬郡長沼町(現須賀川市)を舞台にした『厚物咲』で第7回芥川賞[2]。翌年、幕末天狗党に加わった祖父をモデルに『碑』を発表し、文壇での評価を高める[1][2]

1942年真杉静枝と再婚したが、1946年に離婚している。

1948年に戦中の取材を元に『テニヤンの末日』 を発表したほか、『新剣豪伝』『信夫の鷹』 、明智光秀を描いた『咲庵』(『群像』1963年1月-1964年2月。8月刊)などの歴史小説や、兄事した横光の生を描く『台上の月』 などを書いた[2]。1964年、『咲庵』で野間文芸賞受賞。1966年日本芸術院賞受賞[2]

1969年8月19日、食道癌のため虎の門病院で死去[4]。『芭蕉庵桃青』が絶筆となった。

死後

1971年に成田山新勝寺の境内にある成田山公園に教え子らが文学碑を建てた[1][5]

1993年には中山義秀記念文学館がつくられ、優れた歴史小説を対象にした、中山義秀文学賞が創設された。全集は『中山義秀全集』(新潮社、全9巻)、『新編中山義秀自選歴史小説集』(宝文館出版、全10巻)がある。

人物

早稲田大学在学中には社会学や労働問題に関心を持ちカール・マルクスの研究を行った[1]

三里塚芝山連合空港反対同盟の代表として三里塚闘争を闘った戸村一作は成田中学校教師時代の中山の教え子であり、その影響を受けたとされる[6]

平家物語を現代語訳しており(日本古典文庫13・河出書房新社)、その訳文(書き出しと那須与一の件)は中学校用国語教科書(光村図書中学2年)で長年使用され続けている。

死の前日に、キリスト教洗礼を受けた。


  1. ^ a b c d e f g h i 成田ゆかりの人々” (PDF). 成田市. 2019年3月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 中山義秀(なかやまぎしゅう)とは”. コトバンク. 2019年3月23日閲覧。
  3. ^ a b 保昌正夫「中山義秀」久松潜一他4名編『現代日本文学大事典』824頁(明治書院、1965)。
  4. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)245頁
  5. ^ 成田山公園”. 成田山新勝寺. 2019年3月23日閲覧。
  6. ^ 三里塚教会を守ったクリスチャン 戸村一作”. ギャラリーエークワッド. 2019年3月23日閲覧。
  7. ^ 『朝日新聞』1966年4月7日(東京本社発行)朝刊、14頁。


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