上総清川駅
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上総清川駅* | |
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駅出入口(2022年1月) | |
かずさきよかわ Kazusa-Kiyokawa | |
◄祇園 (1.6 km) (1.9 km) 東清川► | |
所在地 | 千葉県木更津市菅生799 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | ■久留里線 |
キロ程 | 4.2 km(木更津起点) |
電報略号 | キヨ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
254人/日(降車客含まず) -2006年- |
開業年月日 | 1912年(大正元年)12月28日[1] |
備考 | 無人駅(乗車駅証明書発行機 有) |
歴史
- 1912年(大正元年)12月28日:千葉県営鉄道久留里線の清川駅(きよかわえき)として開設[1][2]。
- 1923年(大正12年)9月1日:国有化と同時に上総清川駅に改称[1][2]。
- 1954年(昭和29年)9月16日:貨物及び荷物扱い廃止[2][3]。無人駅化[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる[1][2]。
- 2004年(平成16年):台風による強風で駅舎が損壊。旧駅舎が撤去される。
- 2005年(平成17年):新駅舎に改築。
- 2009年(平成21年)3月14日:東京近郊区間に編入される[5]。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは5両編成までに対応する。
プラットホーム改善問題
当駅のホームは北側に設置されており、改札口も同じく北側に設置されているが、駅周辺は南側に多くの住宅地が点在する。しかし南側にはホームに繋がる連絡道路が無いため、南側の利用者の多くは車道の踏み切りから列車軌道上を歩く、或いは南側にあるネット柵を飛び越えるなどしてホームに入ると言うリスクを伴う問題が生じた[6]。この問題は木更津市議会議員である佐藤多美男による答弁で取上げられた。市やJRの対応として木更津駅の指導員が不定期で巡回し、同様の行為を発見した場合の注意指導、車道の踏切からの通行を遮断、利用者に対しルールを遵守するよう呼び掛け、線路脇に注意看板を設置するなどの策を講じ、この問題は概ね改善された[7]。一方、この問題を取上げた佐藤市議会議員は周辺利用者から不便の声が出ていると言うことを理由に同駅の南側にプラットホームを移設することを提案しているが、JR東日本千葉支社は移設工事をする予定は無いと言う回答をしており、南側に移設する目途は立っていない[8]。駅入口の周囲に案内看板の類は一切無く、民家と個人商店の間から入構する。
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駅案内看板の無い入口(2008年4月)
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待合室(2022年1月)
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ホーム(2022年1月)
記事本文
- ^ a b c d e 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 31号 内房線・外房線・久留里線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年2月21日、26頁。
- ^ a b c d 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、627頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 「日本国有鉄道公示第264号」『官報』、1954年9月11日。
- ^ 「通報 ●木原線及び久留里線の営業範囲の変更に伴う旅客の取扱方について(営業局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1954年9月11日、4面。
- ^ 『Suicaをご利用いただけるエリアが広がります。』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2008年12月22日。 オリジナルの2020年5月25日時点におけるアーカイブ 。2020年5月25日閲覧。
- ^ 平成17年12月定例会(第3号) 本文 98 : ◯24番(佐藤多美男君) による答弁
- ^ 平成25年3月定例会(第4号) 本文 328 : ◯26番(佐藤多美男君)による答弁
- ^ 平成25年3月定例会(第4号) 本文 334 : ◯企画部長(渡辺知尚君)による答弁
利用状況
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