三河島事故 事故後

三河島事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 07:59 UTC 版)

事故後

貼り出された犠牲者の一覧表

1962年5月8日運輸大臣斎藤昇から国鉄に対して運転事故防止についての警告が出された。

対策

国鉄内には三河島事故特別対策委員会が設置された。

自動列車停止装置の整備

この事故を機に、自動列車停止装置 (ATS) が計画を前倒しにする形で国鉄全線に設置されることになり、1966年(昭和41年)までに一応の整備を完了した。それまで使われていた車内警報装置国電区間での採用後、1956年六軒事故を受けて全国主要各線へ設置を行う予定であった)には列車を自動停止させる機能がなく、この種の信号冒進事故を物理的に防ぐことができなかった。

信号炎管・列車防護無線装置の整備

この事故を受けて全列車に軌道短絡器など防護七つ道具の整備を行い、常磐線に乗り入れる全列車を対象にまず信号炎管が取り付けられ、のちに列車防護無線装置が開発され、装備された。

鉄道労働科学研究所の設立

人間工学心理学精神医学的見地から職員の労働管理を行うことが求められた。この対策として中央鉄道学園能率管理研究所と厚生局安全衛生課を統合し、1963年(昭和38年)6月に鉄道労働科学研究所を設立した(現在は組織統合により鉄道総合技術研究所)。

事故展示室を開設

2020年3月、JR東日本・東京支社(2022年10月よりJR東日本・首都圏本部に組織改編[9])は「管内で発生した事故を自らのこととして考え安全行動へつなげること」を目的として、三河島駅構内に「三河島事故展示室」を開設した[10]。一般者へは非公開である。

裁判

最初の衝突から上り2000H電車の進入までの約6分間、列車防護の措置を怠ったことなどが問題視されたことから、主として列車の運行に関わる以下の9名[5]が業務上過失往来妨害罪・業務上過失致死傷罪・業務上過失致傷罪の疑いで起訴された[11]

  • 287貨物列車 - 機関士、機関助士、車掌
  • 2117H列車 - 運転士、車掌
  • 三河島駅 - 首席担当助役、信号掛兼運転掛、信号掛
  • 隅田川駅・三ノ輪信号扱所 - 隅田川駅運転掛

裁判により、三河島駅助役と信号掛兼運転掛は禁錮1年・執行猶予3年、信号掛は禁錮8か月・執行猶予2年の判決が下された[11]。さらに、貨物列車の機関士に禁錮3年、機関助士に禁錮1年3か月、下り2117H列車の運転士と車掌に禁錮1年6か月の実刑が課された[11]。一方、貨物列車の車掌と隅田川駅運転掛は無罪となった[11]。なお、最高裁判所で判決が確定した後の1973年6月、実刑となった4名は国鉄から懲戒免職処分となった[12]。 裁判では、列車の指令担当員が停止指令を出していれば事故は未然に防げたともしているが、起訴されていないためそれについて追及されることはなかった[13]

犠牲者

慰霊のため建立された聖観音像

未だに身元不明の犠牲者が1人おり、駅近くの行旅死亡人として葬られている。線路を歩いて事故に巻き込まれた、20代後半から30代ぐらいの丸顔の男性で、身長は163 cm、手に数珠を持っていたと言われている。遺体からモンタージュ写真が作成され公表されたが、知り合いであると名乗り出た人はいない。

事故の犠牲者の中には、当時の人気漫才コンビであったクリトモ一休・三休クリトモ一休も含まれていた。事故後、クリトモ三休は春日三球として再起し、妻の春日照代とともに「春日三球・照代」のコンビ名による夫婦漫才で一世を風靡した。

事故発生から1年後、駅北東の浄正寺に慰霊聖観音像が建立された。


注釈

  1. ^ 当時は常磐線を含めた東北本線の上野 - 東京間の営業はされておらず、また1980年代には東北新幹線の建設工事もあり当該区間が分断されていたことから、事故から53年が経過した2015年上野東京ライン開業まで上野止まりだった。
  2. ^ 事故当時の沖縄はアメリカ合衆国の施政権下にあり、1972年5月15日の沖縄返還まで日本本土への渡航には旅券が必要だった。
  3. ^ 本事故以外にも平成4年の関東鉄道常総線取手駅列車衝突事故平成9年のJR東日本中央線大月駅列車衝突事故など。

出典

  1. ^ 久保田博『鉄道重大事故の歴史』(グランプリ出版、2000年、ISBN 4-87687-211-2)p.110-111
  2. ^ 宮城県に影響を及ぼした地震・津波の被害”. 仙台管区気象台. 2023年7月4日閲覧。
  3. ^ 「運転事故通報(昭和37年5月)」.1962 日本国有鉄道運転局保安課
  4. ^ 最高裁 昭和44年(あ)752号 判決”. 最高裁判所 (1969年). 2023年7月4日閲覧。 7ページ
  5. ^ a b 東京地裁 昭和37年(刑わ)2523号 判決 大判例(三河島事故・第一審判決文)”. 大判例. 2023年7月4日閲覧。
  6. ^ 機関士物語 P162
  7. ^ 昭和37年暦要項(東京天文台)-「朔弦望・昭和37年」(出典部分は3ページ) - 国立天文台 > 暦計算室 > 暦要項 > 暦要項 PDF版一覧 - 昭和 - 昭和31-40年 (1956-1965) - 昭和37年 (1962)、2021年7月27日閲覧 (PDF)
  8. ^ 三輪和雄著「空白の5分間 三河島事故 ある運転士の受難」講談社
  9. ^ JR東日本ニュース「サステナブルな JR東日本グループを創るための組織の改正について」(※出典部分は1ページ目) - JR東日本、2022年4月19日付、2022年12月25日閲覧 (PDF)
  10. ^ JR東京支社 三河島、東中野駅に「事故展示室」開設 交通新聞・電子版(2020年3月30日付)(2021年9月20日閲覧)
  11. ^ a b c d 「【戦後史開封】(423)鉄道事故(4)」『産経新聞産経新聞社、1995年9月29日、朝刊、9面。
  12. ^ 「三河島事件の四人を免職」『交通新聞』交通協力会、1973年6月10日、1面。
  13. ^ 機関士物語 P163-P164
  14. ^ 今尾恵介『地図から消えた地名―消滅した理由とその謎を探る』(東京堂出版、2008年)p.77
  15. ^ 今尾恵介『地名崩壊』(角川書店(角川新書)、2019年)pp.165-166。過去の著書で安易に俗説を引いてしまったとして反省を記している。






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