三河島事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 07:59 UTC 版)
後日談
- 保有球団の売却
- 国鉄はこの事故をきっかけに、保有するプロ野球球団国鉄スワローズをフジサンケイグループに売却することになった。
- 記録映画『ある機関助士』を制作
- 国鉄は安全性をPRするために事故防止の新技術を紹介する映画を企画したが、映画製作を受注した岩波映画製作所は、監督土本典昭のアイデアをもとに、鉄道の安全な運行がいかに機関士たちのぎりぎりの労働によって支えられているかを示した記録映画『ある機関助士』を完成させた。この映画は水戸から上野までの常磐線を舞台に撮影されている。また、三河島事故で大破した状態で留置されているD51 364の姿も収録されている。
- 町名「三河島町」の消滅との関連性
- 今尾恵介は2008年の著書で、この事故により「三河島」という地名が全国にマイナスイメージとして持たれるようになったために忌避され、1968年の住居表示施行を機に一帯の「三河島町」という町名は消滅した、という説を提唱している[14]。しかし、今尾は2019年の著書で、「三河島町」の大部分は1961年10月31日(事故の半年前)に荒川に変更されており、町名消滅と事故とを結びつけるのは「俗説」「都市伝説」としている。その後も数年間「三河島町」の地名が残ったのは道路からはみ出るなどしたわずかな面積であって、もともと他町名への分割編入が意図されたのであろうとしている(1964年7月1日に東尾久の分割編入が行われたあと、残った部分が1966年3月1日に東日暮里・西日暮里に編入されて「三河島」が消滅した)[15]。
- テレビドラマのモチーフ
- テレビ朝日系・東映制作のテレビドラマ『特捜最前線』第163話「ああ三河島・幻の鯉のぼり!」(1980年5月21日放映)は、本事故をモチーフとしている。身元不明男性に焦点を当てたもので、男性を沖縄からの密入国者と設定[注 2]しており、全国紙に掲載しながら誰からも連絡がなかったのは、沖縄には本件事故のことが報道されていなかったためだとしている。また、財布など身元の分かる物を持っていなかったのは事故現場で盗まれたためだとされ、犯人は発見されたものの、18年前(放送当時)の事件のため、時効が成立していた。
- 動力車操縦者免許の学科試験
- 鉄道や軌道を運転するために必要な動力車操縦者免許取得の学科試験の項目『運転理論』内の「重大事故と安全対策」の問題として、本事故が出題される[注 3]ことが多い。
注釈
出典
- ^ 久保田博『鉄道重大事故の歴史』(グランプリ出版、2000年、ISBN 4-87687-211-2)p.110-111
- ^ “宮城県に影響を及ぼした地震・津波の被害”. 仙台管区気象台. 2023年7月4日閲覧。
- ^ 「運転事故通報(昭和37年5月)」.1962 日本国有鉄道運転局保安課
- ^ “最高裁 昭和44年(あ)752号 判決”. 最高裁判所 (1969年). 2023年7月4日閲覧。 7ページ
- ^ a b “東京地裁 昭和37年(刑わ)2523号 判決 大判例(三河島事故・第一審判決文)”. 大判例. 2023年7月4日閲覧。
- ^ 機関士物語 P162
- ^ 昭和37年暦要項(東京天文台)-「朔弦望・昭和37年」(出典部分は3ページ) - 国立天文台 > 暦計算室 > 暦要項 > 暦要項 PDF版一覧 - 昭和 - 昭和31-40年 (1956-1965) - 昭和37年 (1962)、2021年7月27日閲覧 (PDF)
- ^ 三輪和雄著「空白の5分間 三河島事故 ある運転士の受難」講談社
- ^ JR東日本ニュース「サステナブルな JR東日本グループを創るための組織の改正について」(※出典部分は1ページ目) - JR東日本、2022年4月19日付、2022年12月25日閲覧 (PDF)
- ^ JR東京支社 三河島、東中野駅に「事故展示室」開設 交通新聞・電子版(2020年3月30日付)(2021年9月20日閲覧)
- ^ a b c d 「【戦後史開封】(423)鉄道事故(4)」『産経新聞』産経新聞社、1995年9月29日、朝刊、9面。
- ^ 「三河島事件の四人を免職」『交通新聞』交通協力会、1973年6月10日、1面。
- ^ 機関士物語 P163-P164
- ^ 今尾恵介『地図から消えた地名―消滅した理由とその謎を探る』(東京堂出版、2008年)p.77
- ^ 今尾恵介『地名崩壊』(角川書店(角川新書)、2019年)pp.165-166。過去の著書で安易に俗説を引いてしまったとして反省を記している。
固有名詞の分類
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