三和銀行
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主な融資系列
CM・マスコットキャラクター
- 天地真理 - 新聞・雑誌広告のみ。起用当時は銀行のテレビCMが解禁されていなかったため。
- 紺野美沙子
- 松たか子
- 和久井映見
- 設楽りさ子
- 東幹久
- 陣内孝則 - 奇遇にも、陣内は後に三和銀行の合併相手となる東海銀行のCMキャラクターになっていた時期があった。
- ワンサくん - 手塚治虫の漫画作品。三和(サンワ)の逆読みという縁でマスコットキャラクターに起用され、ノベルティグッズとして貯金箱などが製作された。
- スヌーピー - マスコットキャラクターに起用され、ノベルティグッズが多数製作された。
関連人物
- 竹内力 - 元行員。俳優になる前、三和銀行淡路支店で銀行員として勤務していた。
- 西川ひかる - 元行員。漫才師になる前、銀行員として勤務していた。後に女優に転身。
- 乾恒雄 - 元行員。オリックス元社長・会長。
- 君島達己 - 元行員。元任天堂社長。
- 臼井興胤 - 元行員。元セガ社長、コメダ社長。
- 高原豪久 - 元行員。ユニ・チャーム社長、日本経営協会会長。
- 堤智章 - 元行員。藤久社長、元エイボン・プロダクツ社長。
- 鳥越徹 - 元行員。鳥越製粉会長兼社長。
- 筆坂秀世 - 元行員。のちに日本共産党参議院議員を務めた。
- 舟橋孝之 - 元行員。インソース創業者・社長。
脚注
注釈
- ^ 現在の三菱UFJ銀行大阪営業部所在地である。
- ^ 現・山口銀行(山口県を営業基盤とする地方銀行)とは無関係
- ^ 『読売新聞』1970年10月31日朝刊社会面で、「三和銀行虎ノ門支店も不良融資、総会屋へ二億五千万円」という記事が5段抜きで報じられた[3]。
- 以下は『読売新聞』記事の要約。
- 大阪に事務所を持っていた当時から、総会屋として三和銀行本店総務部に出入りしていた岩井忠芳(紙上では「I」と略されている。社名・実名は後掲の『文化評論』から[4])は、1960年に東京へ進出した際、経済旋風社を運転する当座の資金を、三和銀行東京本部総務部の紹介で虎ノ門支店が融資。1968年春ごろには融資額が約三千万円に達した。
- しかし岩井は倒産寸前に追い込まれた。融資の焦げつきを避けるため、岩井振り出しの手形や小切手を交換所経由の正規のルートに乗せず、銀行側で支店長決済により無担保・短期で立て替える形で融資の上積みをした。1969年5月ごろまでに融資額は二億五千万円にも達した。
- 銀行側は同年夏ごろから債権保全の交渉をはじめ、岩井が千葉県に所有していた時価六千万円の宅地を担保にとり、また翌年5月、業界で噂にのぼりはじめると、北海道の山林と株など約二億円相当を担保にとったという[3]。
- ジャーナリストの竹森久朝は、巨額融資の担保に入れた北海道洞爺湖近くの土地に疑惑があるという新事実にふれた著書『ブラック・マネー』(日本証券新聞刊行)の広告を1971年3月30日の日本経済新聞朝刊で広告に載せた。翌31日、日本証券新聞は児玉誉士夫の青年思想研究会(青思会)から脅迫を受けて、『ブラック・マネー』13,000部を青思会の事務所に運び込んだ。竹森はその事務所へ呼び出されて出版しない旨の宣誓書を書かされた。竹森は4月3日に被害届を出した。この日の夕方には青思会議長の高橋正義が脅迫罪と威力業務妨害の容疑で逮捕された。しかし日本証券新聞が被害届を出そうとしなかったため、高橋は42日間拘置された末、25,000円の罰金を払って放免された。岩井は、三和銀行へ入れる担保に高橋名義の土地(担保評価わずか1,200万円)を転用していた[4]。それから1年半後、竹森は東京地検特捜部から呼び出され、児玉誉士夫の逮捕に協力を求められた。そのとき、デスクの上には『ブラック・マネー』のコピー版が積んであった[5]。
- 以下は『読売新聞』記事の要約。
- ^ 1965年にも千葉県湾岸地区にある京葉コンビナートの発展に目を付けた三和銀行が、同県の有力地方銀行である千葉銀行の10%超の株式を買い占めて同行を傘下に収めようとしたことがあり、独占禁止法違反の疑いで問題になったことがあった[6]。後に三和銀行は公正取引委員会の審査中に該当株の一部売却を行い、8.6%に減少したため不問処分となった。
- ^ 移転後、三和銀行東京支店ビルは建て替えられ、東洋信託銀行(後のUFJ信託銀行、現:三菱UFJ信託銀行)本店ビルとなった。同店は三菱UFJ信託銀行発足後に東京営業部に改称されたが、現在は本店(旧:三菱信託銀行本店)に統合されたため同地から撤退している。
- ^ 総会進行係は児玉誉士夫系の後藤与一であった。
- ^ 吉田彦太郎が緑産業株式会社を設立している。
出典
- ^ 『大阪朝日新聞』1933年8月18日付
- ^ 『三和銀行の歴史』pp.108 - 110。
- ^ a b 『読売新聞』1970年10月31日、朝刊社会面
- ^ a b 『文化評論』1976年5月号 pp.113-119、新日本出版社
- ^ 竹森久朝『見えざる政府 - 児玉誉士夫とその黒の人脈』 pp.146-147、白石書店、1976年。
- ^ “第77回国会 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第19号 昭和51年8月3日”. 国会会議録検索システム. pp. 158-175. 2020年6月6日閲覧。
- ^ 「行員の背に時限爆弾 加州三和銀 20万ドル奪われる」『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月13日夕刊 3版 15面
参考文献
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 |
- 有竹修二、戸田豊、安田良和『三和銀行の歴史』三和銀行行史編纂室、1974年。
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