マルティニーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 06:20 UTC 版)
住民
ドミニカ国以外の全ての西インド諸島諸国に共通するように、元いた先住民のカリブ人は、ヨーロッパ人による虐殺やヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病により現在は全滅しており、純粋な先住民は現在1人もいない。アフリカから奴隷として連れて来られた黒人と、クレオール人(ムラート)が多く、フランスの白人や華人(華僑)、インド人(印僑)、レバノン、シリア、パレスチナから移民したアラブ人なども少数存在する。住民の多くはフランス語とクレオール語を話すが、クレオール語には低い位置が与えられている。宗教はカトリック信者が多い。
260,000人のマルティニーク出身者がフランス本土で暮らし、多くはパリ地域に居住している。
人口
1700 推計 |
1738 推計 |
1848 推計 |
1869 推計 |
1873 推計 |
1878 推計 |
1883 推計 |
1888 推計 |
1893 推計 |
1900 推計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
24,000 | 74,000 | 120,400 | 152,925 | 157,805 | 162,861 | 167,119 | 175,863 | 189,599 | 203,781 |
1954 国勢調査 |
1961 国勢調査 |
1967 国勢調査 |
1974 国勢調査 |
1982 国勢調査 |
1990 国勢調査 |
1999 国勢調査 |
2006 国勢調査 |
2007 推計 |
2008 推計 |
239,130 | 292,062 | 320,030 | 324,832 | 328,566 | 359,572 | 381,427 | 397,732 | 400,000 | 402,000 |
公式の数字は過去の国勢調査とINSEEの推計によった。 |
文化
音楽
19世紀後半のマルティニークでは、ヨーロッパとアフリカのダンス音楽が融合し、幾つかのダンス音楽が生まれた。そのうちの一つであるビギンはアレクサンドル・ステリオなどの活躍により、1920年代から1930年代にかけてフランス本土で隆盛を見せた。ビギンは後の1980年代にも、カリなどにより、再び脚光を浴びた。その他のジャンルとして、1960年代後半に発生したカダンス、カダンスの流れを引き継いだジャンルであるズーク、農村部の伝統音楽であるプレアー、プレアーの構成に格闘技を伴うダミエなどのジャンルが存在する。
文学
文学においては、セネガルのレオポルド・セダール・サンゴールと共にネグリチュード運動を担い、『帰郷ノート』(1939年)、『植民地主義論』(1950年、1955年)で知られるエメ・セゼールや、セゼールの教え子であり、アルジェリア革命にアフリカ革命を見出し、ポストコロニアリズムの先駆者となった、『黒い皮膚・白い仮面』(1952年)、『アフリカ革命に向けて』(1964年)で知られるフランツ・ファノン、同じくセゼールの教え子であり、ヨーロッパでもアフリカでもないアンティル諸島に特有の心性として、アンティル性(アンティヤニテ)を見出したエドゥアール・グリッサン、アンティヤニテを批判してより広い視野を持って世界を見ることを訴えるクレオリテを主張し、『クレオールとは何か』(1991年)などで知られるパトリック・シャモワゾーやラファエル・コンフィアン(Raphaël Confiant)の名が特に挙げられる。
スポーツ
マルティニークではサッカーが最も人気のスポーツであり、1919年にサッカーリーグのマルティニーク・シャンピオナ・ナシオナルが創設された。サッカーマルティニーク代表はカリビアンカップの1993年大会で優勝を果たしている。さらにCONCACAFゴールドカップでは、2002年大会でベスト8の成績を収めた。
マルティニークの帆船のヨールの建造、航海、レース(レガッタ)などは2020年にユネスコの無形文化遺産(「ベスト・プラクティス」部門)に登録された[3]。
出身者
- ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ - ナポレオン1世の最初の妻[4]
- エメ・セゼール - 詩人
- フランツ・ファノン - 精神分析家
- エドゥアール・グリッサン - 思想家
- パトリック・シャモワゾー - 文学者
- ユーザン・パルシー - 映画監督
- ジェラール・ジャンヴィオン - 元サッカー選手
- ガリー・ボカリ - 元サッカー選手
- ジャン=シルヴァン・ババン - サッカー選手
- エマニュエル・リヴィエール - サッカー選手
- エルマン・パンゾ - 元陸上競技選手
- マクシ・モリニエール - 元陸上競技選手
- ジェリー・モロー - 元プロレスラー
- ^ a b “Martinique Biosphere Reserve” (英語). UNESCO (2022年6月10日). 2023年3月22日閲覧。
- ^ a b “Etang des Salines | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2023年7月13日). 2023年7月20日閲覧。
- ^ “UNESCO - The Martinique yole, from construction to sailing practices, a model for heritage safeguarding” (英語). ich.unesco.org. 2023年3月22日閲覧。
- ^ ジョン・バクスター『二度目のパリ 歴史歩き』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2013年、36頁。ISBN 978-4-7993-1314-5。
固有名詞の分類
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