ヒルベルト空間 スペクトル論

ヒルベルト空間

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 13:38 UTC 版)

スペクトル論

ヒルベルト空間における自己随伴作用素のスペクトル論も広く研究が成されている。これには、実係数の場合の対称行列や複素係数の場合の自己随伴行列の研究と大まかな類似がある[69]。同様の意味で、自己随伴作用素を適当な直交射影作用素の和(実際には積分)として表す「対角化」もできる。

作用素 T のスペクトル σ(T) とは、T − λ が連続な逆作用素を持たないような複素数 λ 全体の成す集合のことである。T が有界ならば、そのスペクトルは必ずガウス平面内のコンパクト集合で、円板 {|z| ≤ ‖T‖} の内側に入る。T が自己随伴ならばそのスペクトルは実であり、事実として区間 [m,M] に含まれる。ただし、

とする。さらに言えば mM はともに実際にはスペクトルに含まれる。

作用素 T の固有空間は

で与えられる。有限次元の行列の場合と異なり、T のスペクトルの元は必ずしも固有値にはなるとは限らず、線型作用素 T − λ が逆を持たないときだけである(これは全射ではないから)。作用素のスペクトルの元は一般に「スペクトル値」と呼ばれる。スペクトル値は固有値とは限らないので、スペクトル分解は有限次元の場合よりは扱いが難しいことが多い。

しかし、自己随伴作用素 Tスペクトル論は、さらにコンパクト作用素であるという仮定を加えれば特に簡単な形にすることができる。自己随伴コンパクト作用素のスペクトル論の主張は[70]

  • 自己随伴コンパクト作用素 T は高々可算個のスペクトル値しか持たない。T のスペクトルがガウス平面において集積点を持つ可能性は 0 以外にはない。T の固有空間は H の直交直和
    に分解する。さらに固有空間 Hλ の上への直交射影を Eλ と書けば
    と表せる。ただし和は B(H) のノルムに関して収束する。

多くの積分作用素、特にヒルベルト=シュミット作用素から生じるものはコンパクトであり、この定理は積分方程式論において基本的な役割を果たす。

自己随伴作用素に対する一般のスペクトル論には、無限和というよりもある種の作用素値リーマン・スティルチェス積分が関係してくる[71]T に伴う「スペクトル族」には、各実数 λ に対して作用素 (T − λ)+ の零空間の上への射影 Eλ が対応している。ただし +

で定義される自己随伴作用素の正部分を表す。作用素 Eλ は自己随伴作用素の間に定義される半順序に関して単調増大である。固有値はちょうど跳躍不連続点に対応しており、

なるスペクトル論が得られる。右辺の積分はリーマン・スティルチェス積分として理解され、B(H) のノルムに関して収束する。特に、通常のスカラー値積分表現

が得られる。正規作用素に対してもある程度似たようなスペクトル分解が成立するが、この場合実数でない複素数がスペクトルに含まれるから、作用素値スティルチェス測度 dEλ 1 の分解で置き換えられなければならない。

スペクトル法の主な応用はスペクトル写像定理英語版で、これにより、積分

を作って、自己随伴作用素 TT のスペクトル上で定義される連続な複素関数を施すことができるようになる。このような連続汎函数計算英語版は特に擬微分作用素への応用を持つ[72]

「非有界」な自己随伴作用素のスペクトル論は、有界作用素に対するものと比べてさほど難しいわけではない。非有界作用素のスペクトルは有界作用素に対するのと全く同じやり方で定義される。つまり、λ がスペクトル値となるのはレゾルベント作用素

が連続作用素として定義されないときである。T の随伴性から、やはりスペクトルが実であることが保証される。従って、非有界作用素に特有な議論の本質の部分は、λ が実でないようなレゾルベント Rλ を見るところにある。このレゾルベントは有界正規作用素で、これをスペクトル表現したものを使って T 自身のスペクトル表現が得られる。同様の方法論で、例えばラプラス作用素のスペクトルも調べられる。作用素を直接扱うよりも、それに付随するリースポテンシャルベッセルポテンシャル英語版のようなレゾルベントを見るのである。

非有界自己随伴作用素の場合に成立するスペクトル定理は以下のようなものである[73]

ヒルベルト空間 H 上稠密に定義された自己随伴作用素 T が与えられたとき、R のボレル集合族上で定義された 1 の分解 E が一意に対応して
を満たす。スペクトル測度 ET のスペクトル上に集中する。

非有界正規作用素に対するスペクトル定理も存在する。


  1. ^ Marsden 1974, §2.8
  2. ^ この節における数学的な題材は、Dieudonné (1960), Hewitt & Stromberg (1965), Reed & Simon (1980), Rudin (1980) など、標準的な関数解析学の教科書を見れば載っている。
  3. ^ 第二引数に関して線型であると約束する場合もある。
  4. ^ Dieudonné 1960, §6.2
  5. ^ Dieudonné 1960
  6. ^ メビウスの後押しを受けたグラスマンの手によるところが大きい (Boyer & Merzbach 1991, pp. 584–586)。抽象線型空間の現代的にきちんとした公理的取り扱いは、1888年のペアノが最初である (Grattan-Guinness 2000, §5.2.2; O'Connor & Robertson 1996)。
  7. ^ ヒルベルト空間の詳しい歴史は Bourbaki 1987 に扱われている。
  8. ^ Schmidt 1908
  9. ^ Titchmarsh 1946, §IX.1
  10. ^ Lebesgue 1904。積分論の歴史の詳細は Bourbaki (1987)Saks (2005) にある。
  11. ^ Bourbaki 1987.
  12. ^ Dunford & Schwartz 1958, §IV.16
  13. ^ Fréchet (1907)Riesz (1907) の結果を併せて Dunford & Schwartz (1958, §IV.16) は「L2[0,1] 上の任意の線型汎関数は積分で表される」と書いている。「ヒルベルト空間の双対がもとの空間と同一視される」という一般な形の主張は Riesz (1934) で述べられている。
  14. ^ von Neumann 1929.
  15. ^ Kline 1972, p. 1092
  16. ^ Hilbert, Nordheim & von Neumann 1927.
  17. ^ a b Weyl 1931.
  18. ^ Prugovečki 1981, pp. 1–10.
  19. ^ a b von Neumann 1932
  20. ^ Halmos 1957, Section 42.
  21. ^ Hewitt & Stromberg 1965.
  22. ^ a b Bers, John & Schechter 1981.
  23. ^ Giusti 2003.
  24. ^ Stein 1970
  25. ^ 詳細は Warner (1983) に見つかる。
  26. ^ ハーディ空間の一般論は Duren (1970) を見よ。
  27. ^ Krantz 2002, §1.4
  28. ^ Krantz 2002, §1.5
  29. ^ Young 1988, Chapter 9.
  30. ^ フレドホルム核の固有値は 1/λ でこれは 0 に近づく。
  31. ^ この観点からの有限要素法の詳細が Brenner & Scott (2005) にある。
  32. ^ Reed & Simon 1980
  33. ^ この観点からのフーリエ級数の扱いは、例えば Rudin (1987)Folland (2009) を参照。
  34. ^ Halmos 1957, §5
  35. ^ Bachman, Narici & Beckenstein 2000
  36. ^ Stein & Weiss 1971, §IV.2.
  37. ^ Lancos 1988, pp. 212–213
  38. ^ Lanczos 1988, Equation 4-3.10
  39. ^ スペクトル法の古典的文献は Courant & Hilbert 1953。より今日的な取り扱いは Reed & Simon 1975 を参照。
  40. ^ Kac 1966
  41. ^ Dirac 1930
  42. ^ von Neumann 1955
  43. ^ Young 1988, p. 23.
  44. ^ Clarkson 1936.
  45. ^ Rudin 1987, Theorem 4.10
  46. ^ Dunford & Schwartz 1958, II.4.29
  47. ^ Rudin 1987, Theorem 4.11
  48. ^ Weidmann 1980, Theorem 4.8
  49. ^ Weidmann 1980, §4.5
  50. ^ Buttazzo, Giaquinta & Hildebrandt 1998, Theorem 5.17
  51. ^ Halmos 1982, Problem 52, 58
  52. ^ Rudin 1973
  53. ^ Trèves 1967, Chapter 18
  54. ^ See Prugovečki (1981), Reed & Simon (1980, Chapter VIII), Folland (1989).
  55. ^ Prugovečki 1981, III, §1.4
  56. ^ Dunford & Schwartz 1958, IV.4.17-18
  57. ^ Weidmann 1980, §3.4
  58. ^ Kadison & Ringrose 1983, Theorem 2.6.4
  59. ^ Dunford & Schwartz 1958, §IV.4.
  60. ^ 添字集合が有限の場合は例えば Halmos 1957, §5、無限の場合は Weidmann 1980, Theorem 3.6 を参照。
  61. ^ Levitan 2001。様々な文献(例えば Dunford & Schwartz (1958, §IV.4) など)ではこれを単に次元と呼ぶが、考えているヒルベルト空間が有限次元の場合を除けば、これは通常の線型空間の意味での次元(ハメル基底の濃度)と同じものではない。
  62. ^ Prugovečki 1981, I, §4.2
  63. ^ von Neumann (1955) はヒルベルト空間は可算ヒルベルト基底を持つものと定義したので、そのようなものは全て ℓ2 に等距同型である。量子力学の厳密な取り扱いにおいて殆どの場合この規約が用いられている(例えば Sobrino 1996, Appendix B を参照)。
  64. ^ a b c Streater & Wightman 1964, pp. 86–87
  65. ^ Young 1988, Theorem 15.3
  66. ^ Kakutani 1939
  67. ^ Lindenstrauss & Tzafriri 1971
  68. ^ Halmos 1957, §12
  69. ^ ヒルベルト空間におけるスペクトル論の一般的な説明が Riesz & Sz Nagy (1990) にある。C-環の言葉を用いたより高度な説明は Rudin (1973)Kadison & Ringrose (1997) を参照。
  70. ^ たとえば Riesz & Sz Nagy (1990, Chapter VI) や Weidmann 1980, Chapter 7 を参照。この結果は、積分核から生じる作用素の場合には、既に Schmidt (1907) で知られている。
  71. ^ Riesz & Sz Nagy 1990, §§107–108
  72. ^ Shubin 1987
  73. ^ Rudin 1973, Theorem 13.30.






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