バーバラ・カートランド バーバラ・カートランドの概要

バーバラ・カートランド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 14:53 UTC 版)

バーバラ・カートランド
Barbara Cartland
誕生 メアリー・バーバラ・ハミルトン・カートランド
(Mary Barbara Hamilton Cartland)
(1901-07-09) 1901年7月9日
イングランド バーミンガムエッジバストン
死没 (2000-05-21) 2000年5月21日(98歳没)
ハートフォードシャーハトフィールド
職業 小説家
言語 英語
国籍 イギリス
活動期間 1925年 - 2000年
ジャンル ロマンス
配偶者 アレクサンダー・マッコーコデール (1927–1933)
ヒュー・マッコーコデール (1936–1963)
子供 スペンサー伯爵夫人レイン
イアン・マッコーコデール
グレン・マッコーコデール
親族 ロナルド・カートランド(弟)
ダイアナ元皇太子妃(義理の孫)
ウィキポータル 文学
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カートランド・プロモーションズのトップとして、2000年に亡くなるまでロンドンで最も有名な名士、イギリスでもっとも有名なタレントであった[2]DBECStJ

経歴

イングランドバーミンガムエッジバストンに、イギリス軍の士官だったバートラム・カートランド[4]1876年 - 1918年)と、メアリー・“ポリー”・ハミルトン・スコーベル(1877年 - 1976年)の第一子メアリー・バーバラ・ハミルトン・カートランドとして誕生。姉弟の中で唯一の女子だった。カートランド家はもともとは生活に苦労しない程度の中流階級の家庭であったが、第一次世界大戦出征した父がフランドルで亡くなって間もなく、資本家だった父方の祖父ジェームズ・カートランドが破産自殺したことによって、一家の財政事情に激震が走った[2]。しかし、積極的な母はロンドンにドレスショップを開いて収入を得て、3人の子どもを育てた。弟のアンソニーとロナルドは2人とも1940年に戦死した[1]

私立の女子校アリス・オッタリー・スクールマルヴァーン女子カレッジハンプシャーの教育機関アビー・ハウスを出た後、レポーターとして有名になり、ロマンス作家となった。初期の作品は、カートランド自身が心酔し後に友人にもなったエドワード7世時代の作家エリノア・グリン英語版の影響を受けていると語っている。

小説

タブロイド紙『デイリー・エクスプレス』でゴシップコラムニストを1年務めた後、1922年に処女作"Jigsaw" を上梓。これはきわどい社会派スリラー作品で、ベストセラーになった。また、淫らなシーンが含まれる作品を生み出し、その内の1つ、1926年に上梓した『甘いフィナーレ』(原題:Blood Money )は、チェンバーレイン・オフィスによって発禁となった。1920年代から1930年代にかけて、カートランドはロンドンの社交界で、その美貌とエネルギッシュな魅力のある若く有名なホステスであった。デザイナーのノーマン・ハートネルの最初の依頼者の1人でもあり、1979年にハートネルが亡くなるまで、カートランドのファッションセンスは注目を浴びる役目を負っていた。ハートネルはカートランドのウェディングドレスのデザインも請け負い、彼の意志とは裏腹にカートランドのデザインが採用されたが、後にカートランドはハートネルのデザインにしておけばよかったと認めている。

1950年、カートランドの初期の歴史ロマンス作品にジョージェット・ヘイヤーの作品から、登場人物の名前・特徴、会話、あらすじなどの明白な剽窃があると読者に指摘された。特に、1949年"A Hazard of Hearts"はヘイヤーの"Friday's Child" の登場人物を置き換えただけだった。1950年"The Knave of Hearts" に関しては、ヘイヤー自身が「1926年に出した『愛の陰影』(原題:"These Old Shades" )から主要人物やあらすじなどかなりの部分が引用されている」「それほど目立たないシーンや登場人物にも自分の作品4冊からの引用が見られる」と強く主張した。ヘイヤーは剽窃部分を細かく分析し、弁護士に依頼したが、法廷闘争となる事はなかった[5]

自ら「ロマンス専門」と謳っていたカートランドのイメージは崩れ去り、冷笑の対象となり、後年の彼女はより保守的になった。処女作はセンセーショナルだったが、後年の作品(と言っても人気に変わりはない)ではヒロイン処女で、淫らなシーンもほとんどなく、比較的精彩を欠く単調なものが多く、そのほとんど全てが信じることや貞節をテーマとした歴史ものだった。

ストーリーが単調にもかかわらず、カートランドの作品は常によく売れた。1983年まで"Who's Who" で記事の長さが最長で(大部分は作品リスト)、世界で最も販売数の多い作家としてギネス世界記録にも登録された。1990年代半ばには販売数は10億部を超え、雑誌『ヴォーグ』は「ロマンスの本当の女王」と形容した。トレードマークのピンクのドレスと濃い紫色の帽子姿でメディアで有名になり、恋愛や結婚、政治、宗教、ファッションなどについて語った。公立学校での礼拝の中止に否定的で、また浮気離婚にも道徳観が欠如しているとして反対した。

1983年には23冊の作品を上梓し、ギネス世界記録に単年度執筆最多作家として登録された。

音楽活動

1978年、ステート・レコードから"An Album Of Love Songs" を出した[6]"I'll Follow My Secret Heart""A Nightingale Sang in Berkeley Square" などのスタンダードナンバーをカートランド自身が歌い、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共演した曲が収められている[7]


  1. ^ a b c d e Cartland, Barbara”. Howard Gotlieb Archival Research Center Boston University. 2013年4月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g “Dame Barbara Cartland”. London: デイリー・テレグラフ. (2000年5月22日). http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/culture-obituaries/books-obituaries/1366803/Dame-Barbara-Cartland.html 2013年4月22日閲覧。 
  3. ^ “Final Curtain Calls”. CBS News. (2000年12月20日). http://www.cbsnews.com/stories/2000/12/20/2000/main258620.shtml?source=RSS&attr=_258620 2010年5月21日閲覧。 
  4. ^ CWGC :: Casualty Details
  5. ^ Kloester, Jennifer (2012). Georgette Heyer: Biography of a Bestseller. London: William Heinemann. ISBN 978-0-434-02071-3. pp. 275–9.
  6. ^ https://itunes.apple.com/gb/album/album-love-songs-feat.-royal/id536072058
  7. ^ アーカイブされたコピー”. 2015年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月27日閲覧。
  8. ^ Official Website: Life Story”. 2006年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月9日閲覧。
  9. ^ “Oh, mummy you were naughty - Dame Barbara Cartland's son reveals all about her racy life”. Daily Mail (London). http://www.dailymail.co.uk/femail/article-1078685/Oh-mummy-naughty--Dame-Barbara-Cartlands-son-reveals-racy-life.html 
  10. ^ Wilson, Frances, “With 160 of her lost romances about to be published... I'm a proud feminist but Barbara Cartland still sets my heart a-flutter”, Daily Mail (London), http://www.dailymail.co.uk/debate/article-2393972/With-160-lost-romances-published--Im-proud-feminist-Barbara-Cartland-sets-heart-flutter-FRANCES-WILSON.html 2010年2月11日閲覧。 
  11. ^ “The changing face of romance novels”. オーストラリア放送協会. オリジナルの2010年11月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101115161934/http://www.abc.net.au/news/video/2010/08/27/2995930.htm 2015年2月11日閲覧。 
  12. ^ Levin, Angela, “Barbara Cartland: My mum always played the heroine”, Daily Telegraph, http://www.telegraph.co.uk/culture/books/10252426/Barbara-Cartland-My-mum-always-played-the-heroine.html 2014年5月3日閲覧。 
  13. ^ Rowe, Mark (2000年6月25日). “Undertakers Say No to Green Burials; Cardboard Coffins May Be Good for the Environment, but They Are Much Less Profitable Than Traditional Ceremonies”. The Independent. オリジナルの2014年5月3日時点におけるアーカイブ。. https://archive.today/20140503173425/http://www.highbeam.com/doc/1P2-5077391.html 2014年5月2日閲覧。  (要購読契約)
  14. ^ “A drunken husband and five secret lovers: The novel Barbara Cartland never wanted you to read”. Daily Mail. http://www.dailymail.co.uk/femail/article-1080454/A-drunken-husband-secret-lovers-The-novel-Barbara-Cartland-wanted-read.html 
  15. ^ アーカイブされたコピー”. 2013年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月9日閲覧。


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