バーバラ・カートランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 14:53 UTC 版)
航空業界への貢献
私的に滑空飛行(グライディング)に興味を持っていた。離陸時に牽引する初のグライダー飛行はドイツで行われたが、これはカートランドが考え付いたもので、1931年に2人乗りグライダーでの長距離飛行を実行し、200マイル(約360km)を飛んだ。後にこのアイディアは軍用グライダーに採用された。1984年、この功績により"Bishop Wright Air Industry Award" を授与された[8]。
1920年代から1930年代にかけて、イギリスの小型飛行場兼サーキット、ブルックランズに通いつめ、ブルックランズ・ミュージアムには当時の居間が保存されており、彼女の名がつけられている。
結婚、縁戚・友人関係
『デイリー・テレグラフ』の訃報によると[2]、カートランドの最初の婚約相手は守衛官で、初めて知った性行為の作法に怯えて婚約を破棄したと伝えられている。そういった問題が堂々と語られるような時代ではなかったため、この主張によって彼女のイメージが崩れることはないが、同時にそれまで彼女が出した作品の性的なシーンが論争の的となった。1927年、スコットランド出身で資産家の相続人、イギリス軍士官アレクサンダー・ジョージ・マッコーコデール(1964年没)と結婚するも、1933年に別れた[2]。
アレクサンダーとの間に、1929年に長女レインを出産(後にカートランドは、娘の父親はケント公爵ジョージだと主張した)、レインは1947年に社交界デビューした。不貞行為への非難と反論が渦巻いたが、1933年にアレクサンダーとの離婚が成立。1936年にアレクサンダーの従弟で元武官のヒュー・マッコーコデール(1963年没)と結婚、イアンとグレンの2人の息子をもうけた[1][2]。
ルイス・マウントバッテンとは長らく友人関係が続き、1979年に彼が亡くなった際、「人生で最大の悲しみ」と表した。マウントバッテンはカートランドの様々なチャリティ活動、特にユナイテッド・ワールド・カレッジを支援し、また『無敵号のレディ』(原題:Love at the Helm )執筆に際し、海軍や歴史について情報提供したという。マウントバッテンがアイルランドでテロで亡くなった後にチャールズ3世(当時皇太子)によって設立されたマウントバッテン記念財団は、1980年に同作が刊行された際に献本を受けた。
1991年、約70年に及ぶ作家活動、政治や社会への貢献を認められ、エリザベス女王から大英帝国勲章を受けた[1]。
ダイアナ元皇太子妃は義理の孫にあたるが、チャールズ3世との結婚式には招待されなかったなど、あまり関係は良くなかったとされる。カートランドはダイアナの離婚を公に批判する立場を取っていたものの、2人の関係が修復されつつあった1997年に自動車事故でダイアナが悲劇的な死を遂げた[9]。ジャーナリストのティナ・ブラウンが晩年のダイアナについて書いた著書によると、ダイアナはカートランドの本をよく読んでいたという[10]。
政治への影響
第二次世界大戦で保守党の下院議員だった弟のロナルド・カートランドが戦死した後に執筆した彼の伝記には、ウィンストン・チャーチル首相の前文が載せられた。戦争によってカートランドは市民の福祉や政治に興味を持つようになり、英国陸軍省にセント・ジョン救急隊のようなチャリティを支援した。1953年、奉仕活動を評され、バッキンガム宮殿でエルサレムの聖ヨハネ章を受章した。
1955年、ハートフォードシャーの州議会の保守党議員に選出され[1]、9年間務めた。この間、老人ホームのリフォームや助産婦の給与改善、移民の子供の教育の合法化などにまい進した。また、ナショナル・アソシエーション・オブ・ヘルスを立ち上げ、アンチエイジング・クリームや向精神系のいわゆる"brain pill" を含む各種薬品や治療を促進した。
- ^ a b c d e “Cartland, Barbara”. Howard Gotlieb Archival Research Center Boston University. 2013年4月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Dame Barbara Cartland”. London: デイリー・テレグラフ. (2000年5月22日) 2013年4月22日閲覧。
- ^ “Final Curtain Calls”. CBS News. (2000年12月20日) 2010年5月21日閲覧。
- ^ CWGC :: Casualty Details
- ^ Kloester, Jennifer (2012). Georgette Heyer: Biography of a Bestseller. London: William Heinemann. ISBN 978-0-434-02071-3. pp. 275–9.
- ^ https://itunes.apple.com/gb/album/album-love-songs-feat.-royal/id536072058
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2015年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月27日閲覧。
- ^ “Official Website: Life Story”. 2006年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月9日閲覧。
- ^ “Oh, mummy you were naughty - Dame Barbara Cartland's son reveals all about her racy life”. Daily Mail (London)
- ^ Wilson, Frances, “With 160 of her lost romances about to be published... I'm a proud feminist but Barbara Cartland still sets my heart a-flutter”, Daily Mail (London) 2010年2月11日閲覧。
- ^ “The changing face of romance novels”. オーストラリア放送協会. オリジナルの2010年11月15日時点におけるアーカイブ。 2015年2月11日閲覧。
- ^ Levin, Angela, “Barbara Cartland: My mum always played the heroine”, Daily Telegraph 2014年5月3日閲覧。
- ^ Rowe, Mark (2000年6月25日). “Undertakers Say No to Green Burials; Cardboard Coffins May Be Good for the Environment, but They Are Much Less Profitable Than Traditional Ceremonies”. The Independent. オリジナルの2014年5月3日時点におけるアーカイブ。 2014年5月2日閲覧。 (要購読契約)
- ^ “A drunken husband and five secret lovers: The novel Barbara Cartland never wanted you to read”. Daily Mail
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2013年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月9日閲覧。
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