ハワイ出雲大社 由緒・歴史

ハワイ出雲大社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:07 UTC 版)

由緒・歴史

  • 1906年 - 出雲大社教2代管長千家尊愛(せんげたかあき)の命を受けた広島県出身の神職宮王勝良がハワイに渡り、ホノルル市アアラレーン周辺において出雲信仰の布教を開始する。
  • 1907年 - ダウンタウンのキング街とベレタニア街の三角地点(パラマ地域)を境内地とし、初めて教会所、神殿が竣功する。
  • 1909年 - 出雲大社教より「出雲大社教布哇教会所」として正式に認可。マウイ島ハワイ島などにも教会所や講社が開設され、積極的に活動を展開する。
  • 1918年 - 宮王勝良を初代分院長として「出雲大社教布哇分院」に昇格。翌年にはハワイ出雲大社教団の法的組織化がハワイ準州政府より認可される。
  • 1922年 - 同地に本社を模した社殿が新築される。翌年、出雲大社教3代管長・千家尊有(せんげたかもち)ら一行を当地に迎え、盛大な祝祭が斎行される。
  • 1935年 - 宮王勝良帰幽。大日本帝国で神職の資格を取得し、1931年よりハワイで奉仕していた次男・宮王重丸が2代分院長に就任。
  • 1941年 - 大日本帝国軍による真珠湾攻撃により、宮王重丸とその家族、分院役員らはFBIに身柄を拘束され、終戦の1945年までアメリカ合衆国本土に抑留される。抑留中に教団は解散。社殿などの財産はホノルル市郡政府に寄贈され、公園局と衛生局が管理した。
  • 1946年 - 前年末、抑留所より帰布した宮王重丸がヤング街の倉庫を改造して社殿とし、正月より神社としての活動を再開する。
  • 1952年 - 宮王重丸を原告とするハワイ出雲大社教団は1万人を超える署名を集め、社殿返還を求める請願書をホノルル市議会に提出。返還は満場一致で決議されたものの、公園局が返還を不服として以後も係争となる。
  • 1961年 - 6次に亙る返還運動の末、最終的に教団側が勝訴。ホノルル市郡政府より社殿の返還が認められる。
  • 1968年 - ククイ街の再開発計画に伴い、社殿は現在地に移転修復。遷座祭が執り行われる。翌年には千家達彦(せんげみちひこ)出雲大社教5代管長奉仕のもと「布哇出雲大社竣功祝祭並びに例大祭合併祭」が斎行される。
  • 1976年 - アメリカ合衆国建国200年を記念してハワイ州巡業中の日本相撲協会力士により横綱土俵入り奉納される。
  • 1990年 - 社殿正面の鳥居脇にホノルル・広島両市の姉妹都市(1960年締結)を記念した“広島平和の鐘”がホノルル市郡政府により設置される。
  • 1993年 - 宮王重丸帰幽。現任者である天野大也氏が3代分院長に就任。
  • 2006年 - 千家達彦・出雲大社教管長奉仕のもと「布哇出雲大社鎮座100周年記念大祭」が斎行される[2][3]



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