ナイロビ 歴史

ナイロビ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/20 13:57 UTC 版)

歴史

建設

ナイロビは1899年モンバサウガンダの間に建設されていたウガンダ鉄道の給水および補修の拠点として建設された[2]。ここに拠点が置かれたのは、モンバサとヴィクトリア湖畔の町キスムの二つの重要な港町の中間地点にあること、高原にあり冷涼でさわやかな気候を持つこと、マサイ語の「冷たい水」の名の通りに清潔で豊富な水が得られること、街の西にある山地を越えるための機関車の連結地点として適していたこと、などが挙げられる。疫病の大流行と町の大火事の後、20世紀初頭に再建された。

白人の首都

その後、交通の要衝にあり、良い気候と水に恵まれ、さらに肥沃な農業地帯の中心に位置することから移住者が増え、1907年イギリス保護領であったイギリス領東アフリカの首都となった。この頃にはイギリス本国からケニアへの移住者が増加していたが、彼らは気候のいい高原部に集中して入植し、「ホワイト・ハイランド」(白人高原)を形成していったため、高原地帯の中心に当たるナイロビには多数の白人が居住するようになった。また、インド人黒人の居住区も同時に形成されていった。この都市はアフリカ人による歴史を持たず、最初から白人によって建設された都市であったため、特に白人が快適なように作られており、この三民族の居住区も明確に分けられ、市の西部に広々とした区画で作られた白人居住区に対し、市の東部に広がる黒人居住区は劣悪な環境の下に置かれた[5]1920年代には農産物加工やビール製造などの工業が発達を始め、これにより出現した工場労働者たちが都市に流入し、ナイロビはより発展のスピードを増していった。周囲で大農園を営む白人たちの中には本国で貴族や富裕層だったものも多く、ナイロビには小さな白人上流社会が出現した。カレン・ブリクセンが農園主としてナイロビ南西郊外に住んだのもこのころである。第二次世界大戦後の1948年にはイギリスの東アフリカ3植民地を統括する東アフリカ高等弁務府がナイロビに置かれ、ナイロビはケニアのみならず東アフリカのイギリス植民地全体の経済の中心となっていった。1950年に市制施行[2]1961年には東アフリカ高等弁務府は東アフリカ共同役務機構と改称したが、本部は変わらずナイロビに置かれていた。一方、第二次世界大戦後には独立運動が盛んになり、1952年にはケニア土地自由軍が結成され、マウマウ団の乱といわれる反英独立闘争を繰り広げた。

独立後

1963年には独立したケニア共和国の首都となった。独立後、ケニア政府は首都としてナイロビの積極的な開発を進め、ケニヤッタ国際会議場など数々の高層ビル群が建設された。ケニアが資本主義寄りの政策をとり、そのため他国に比べれば高い成長率を記録したこともあって、ケニア経済の中心であるナイロビには多国籍企業の支店が多く置かれ、アフリカ有数の大都市となった。また富の集積するナイロビを目指して農村部から人口流入が起き、人口が爆発的に増加した。東アフリカ共同役務機構を受け継ぎ1967年に発足した東アフリカ共同体は本部をタンザニアのアルーシャにおいたが、東アフリカの経済の中心地としてのナイロビの地位は揺らがなかった。1960年代から1970年代にかけては年率7%もの人口増加を記録し、その後も高い人口成長率は続いた。これにより街の規模は拡大したものの、雇用の拡大が追いつかず、深刻な失業問題が起き、流入人口のかなりがスラムへと流れていった。これにより特に街の東部を中心に広大なスラム街が生まれ、また1980年代より治安の急速な悪化を招いた。

1998年8月、ナイロビにあるアメリカ大使館がウサーマ・ビン=ラーディンの国際反米テロ組織アルカーイダにより爆破された。この事件では市民200人以上が死亡した。この場所は今では記念公園となっている[6]

2007年12月から2008年2月にかけて、大統領選挙での不正疑惑からケニア危機が起き、ナイロビでも暴動が発生した[7]


  1. ^ Population Distribution by Political Units”. knbs.or.ke. 2015年3月30日閲覧。
  2. ^ a b c d 『コンサイス地名辞典 外国編』、三省堂、1977年7月、P681。
  3. ^ Demographia: World Urban Areas & Population Projections
  4. ^ 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
  5. ^ 吉田昌夫『世界現代史14 アフリカ現代II』山川出版社、1990年2月第2版。p.122-123
  6. ^ United States Embassy. “Quiet Memorials Mark Fourth Anniversary of Embassy Bombing”. usembassy.gov. 2007年6月17日閲覧。 [リンク切れ]
  7. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2355948?pid=2680117 「ケニア暴動、死者1500人以上」 afpbb 2008年02月26日 2014年11月6日閲覧
  8. ^ Population distribution by province/district and sex: 1979-199 censuses”. Kenya Central Bureau of Statistics. 2009年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月20日閲覧。
  9. ^ AlNinga. “Attractions of Nairobi”. alninga.com. 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月14日閲覧。
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  11. ^ The East African (1998年11月2日). “Karura: Are We Missing the Trees for the Forest?”. nationmedia.com. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月14日閲覧。
  12. ^ 『新訂増補アフリカを知る事典』、平凡社、1991年9月1日新訂増補第1刷 p.310
  13. ^ Gaisma. “Nairobi, Kenya - Sunrise, sunset, dawn and dusk times, table”. gaisma.com. 2007年6月22日閲覧。
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  20. ^ Build cities to contain population explosion(2007年5月28日時点のアーカイブ
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  22. ^ Millennium IT. “Live Trading commences at Nairobi Stock Exchange”. millenniumit.com. 2006年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月28日閲覧。
  23. ^ IRC E-source (2009年8月7日). “Kenya: Nairobi water board sent packing following reports on malpractices”. 2012年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月12日閲覧。
  24. ^ 「現代アフリカ都市社会論序説」p183 松田素二 「アフリカの都市的世界」所収 嶋田義仁・松田素二・和崎春日編 世界思想社 2001年6月10日第1刷
  25. ^ “ケニアでショッピングモール襲撃、26人以上が死亡か”. 産経ニュース (産経新聞). (2013年9月22日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/130921/mds13092121510007-n1.htm 2013年9月22日閲覧。 
  26. ^ ケニアのホテル襲撃、死者21人に 9・11生き延びた米国人も犠牲”. AFP (2019年1月17日). 2019年1月20日閲覧。
  27. ^ 田辺裕島田周平柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』、朝倉書店 p180 ISBN 4254166621
  28. ^ 「ケニアを知るための55章」pp228-229 松田素二・津田みわ編著 明石書店 2012年7月1日初版第1刷
  29. ^ Estimated Road Distance Between Central Nairobi And Wilson Airport
  30. ^ ケニアで長距離鉄道が開通、地域経済活性化に期待 CNN(2017年6月2日)2017年6月3日閲覧
  31. ^ 中国、東アフリカで巨額の鉄道事業を受注”. AFPBB (2014年5月12日). 2018年6月24日閲覧。
  32. ^ 中国、東アフリカに鉄道建設へ 影響力拡大に動く”. 産経ニュース (2014年5月12日). 2018年6月24日閲覧。
  33. ^ 岩淵孝『地球を旅する地理の本3 西アジア・アフリカ』p178 大月書店、1993年4月。ISBN 4-272-50163-1
  34. ^ Sister Cities International”. Sister-cities.org. 2010年10月18日閲覧。






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