ティムール朝 ティムール朝の概要

ティムール朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 00:55 UTC 版)

ティムール朝
تیموریان
گورکانیان

1370年 - 1507年


国の標語: راستى رستى
ペルシア語 : 正直に救いがある)

最盛期のティムール朝の支配領域(深緑)と一時的な占領地域(緑)
公用語 ペルシア語
チャガタイ語
ウズベク語
アラビア語
宗教 イスラム教スンナ派
首都 サマルカンド
ヘラート
シャー
1370年 - 1405年 ティムール
1451年 - 1469年アブー・サイード
1506年 - 1507年ムザッファル・フサイン
宰相
1469年 - 1489年ナヴァーイー
面積
1405年4,400,000km²
変遷
成立 1370年4月10日
ティムールの死1405年2月18日
分裂1469年
滅亡1507年
現在 ウズベキスタン
キルギス
カザフスタン
タジキスタン
トルクメニスタン
アフガニスタン
パキスタン
インド
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サファヴィー朝
アフシャール朝
ザンド朝
ガージャール朝
パフラヴィー朝
イスラーム共和国

その最盛期には、版図は北東は東トルキスタン、南東はインダス川、北西はヴォルガ川、南西はシリアアナトリア方面にまで及び、かつてのモンゴル帝国の西南部地域を制覇した。創始者のティムール在位中の国家はティムール帝国と呼ばれることが多い[1]

王朝の始祖ティムールは、チャガタイ・ハン国に仕えるバルラス部族の出身で、言語的にテュルク化し、宗教的にイスラム化したモンゴル軍人(チャガタイ人)の一員であった。

ティムール一代の征服により、上述の大版図を実現するが、その死後に息子たちによって帝国は分割されたため急速に分裂に向かって縮小し、15世紀後半にはサマルカンドヘラートの2政権が残った。

これらは最終的に16世紀初頭にウズベクシャイバーニー朝によって中央アジアの領土を奪われるが、ティムール朝の王族の一人バーブルアフガニスタンカーブルを経てインドに入り、19世紀まで続くムガル帝国を打ち立てた。


  1. ^ 加藤和秀『ティームール朝成立史の研究』(北海道大学図書刊行会, 1999年2月)、280頁
  2. ^ a b 西チャガタイ−ハン国』 - コトバンク
  3. ^ 久保一之「ティムール帝国」-『中央アジア史』収録、p148-149


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