スィノプ 歴史

スィノプ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/08 02:42 UTC 版)

歴史

古代・中世

スィノプ周辺の地域では青銅器時代初期から人類が生活していたが、町そのものの起源は明確になっていない[8]メソポタミアキリキアから訪れた隊商の交易拠点となっていた。

キンメリア人によって町が破壊された後、紀元前8世紀ミレトスからの入植者が町を再建した[9]。ギリシャの地理学者ストラボンは、神話の英雄イアーソーンが率いるアルゴナウタイがシノーペーを発見した伝承を紹介している。黒海アナトリア半島内陸部・メソポタミア地方を結ぶ交易地として、シノーペーの町は繁栄した。シノーペーではポントス山脈に茂る森林から取れる木材を利用した造船業が発達し、イオニアはシノーペーを拠点としてトラペズス(トレビゾンド、現在のトラブゾン)などの新たな植民都市を建設した[8]

紀元前2世紀になるとポントス王国の首都となり、サムスンと並ぶ拠点となる。ミトリダテス6世の治世にシノーペーは全盛期を迎え、ミトリダテス6世の生地であるシノーペーには神殿や造船所が建設されたが、ポントスが共和政ローマ執政官ルキウス・リキニウス・ルクッルスに敗れると町もローマの影響下に置かれる[8]紀元前47年にローマによって征服され[8]ユリウス・カエサルがこの地にコローニア・ユリア・フェリックス(Colonia Iulia Felix)という植民市を建設した。ローマ時代にはクリミア半島との交易で繁栄したが、サムスンと比べて内陸部との交通の便で劣るため、繁栄の度合いもサムスンに次ぐものであった[8]

ローマ帝国の東西分裂後、シノーペーは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)領となった。東ローマ時代でもスィノプは商業都市としての性質を保ち続け、セルジューク朝がアナトリア半島に進出した後もビザンツ領として残っていた。1204年第4回十字軍によってコンスタンティノープルが陥落すると、トレビゾンド帝国の領土となり、1214年ルーム・セルジューク朝カイクバード1世に征服された。町にはルーム・セルジュークの軍隊が駐屯し、キリスト教の教会はイスラームのモスク(寺院)に改築される[4]。こののち1254年にトレビゾンド帝国が一度スィノプを奪還することに成功する。

13世紀半ばにルーム・セルジューク朝が衰退するとスィノプの町はイルハン朝の影響下に入り、1265年にイルハン朝の君主アバカはルーム・セルジュークの宰相ムイン・アッディーン・スライマーンにスィノプの支配権を与えた[10]14世紀初頭のルーム・セルジューク朝の滅亡後、イルハン朝はガーズィー・チェレビー英語版にスィノプの統治を委任し、この地にベイリク国家のペルヴァーネ侯国英語版が成立した[11]1322年ごろ、ジャンダル侯国英語版(イスフェンディヤール侯国)がスィノプを征服し、ジャンダル侯国の首都とされた[12]1340年に旅行家イブン・バットゥータがスィノプの町を訪れ、キリスト教区の居住区や大モスク(アラエッディン・モスク)について書き残した[13]。ジャンダル侯国はスィノプを拠点としてオスマン帝国への抗戦を続けたが、1461年メフメト2世によってジャンダル侯国とスィノプはオスマン帝国に併合される。13世紀14世紀のスィノプはイズニクブルサに繋がる交易の拠点として重要視され、1351年よりジェノヴァ共和国の領事館が置かれた[4]

オスマン帝国時代以降

オスマン帝国統治下のスィノプは、アナトリア半島有数の交易・造船業の拠点として繁栄した[8]。17世紀初頭には、スィノプはしばしばコサックの攻撃を受け、防備が強化された。1853年11月のクリミア戦争の初期には、スィノプで海戦が行われ、ロシア帝国パーヴェル・ナヒーモフがオスマン帝国のフリーゲート艦隊を沈没させた。また、ロシア艦隊の砲撃によって町の正教徒の居住区は大きな損害を受けた[4]。このことはイギリスフランスがロシアに宣戦するきっかけとなった[4][8]

第一次世界大戦後、スィノプでは黒海沿岸部にポントス共和国の建設を目指すギリシャ人が活動していた。1919年9月にはイギリス軍によって町が一時的に占領される。20世紀半ばにカスタモヌとサムスンに向かう幹線道路が開設されてから、スィノプの復興が始まる[8]。1959年から港湾の整備が開始されたが、ゾングルダクやサムスンに比べて港湾都市としての機能は低いものとなっている[8]冷戦期、対ソ連情報収集などを行うアメリカ軍基地が置かれていた[14]。大規模ガラス工場があったが、1990年代後半に閉鎖された[5]


  1. ^ TÜRKİYE İSTATİSTİK KURUMU 2013年6月10日閲覧
  2. ^ シノプ【Sinop】 大辞泉
  3. ^ a b 三菱重工と仏アレバ、トルコの原発建設プロジェクトに署名 ブルームバーグ 2013年5月4日 2013年6月10日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h 『シルクロード事典』、136-138頁
  5. ^ a b この国と原発:第6部・輸出の最前線で今/上(その2止) 悲願へトルコしたたか 毎日新聞 2012年07月11日 東京朝刊2013年6月12日閲覧
  6. ^ シノプ(しのぷ) 日本大百科全書小学館
  7. ^ a b 地球の歩き方編集室編『イスタンブールとトルコの大地(2013‐2014年版)』、439-441頁
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 由利「シノップ」『世界地名大事典』3、477-478頁
  9. ^ 別枝篤彦「シノプ」『世界地名大事典』6巻収録(朝倉書店, 1973年)、475頁
  10. ^ バットゥータ『大旅行記』3巻、394-395頁
  11. ^ バットゥータ『大旅行記』3巻、395頁
  12. ^ バットゥータ『大旅行記』3巻、393頁
  13. ^ バットゥータ『大旅行記』3巻、331-332頁
  14. ^ 地震国トルコは原発推進 人口増の新興国は「電力」優先 MSN産経ニュース、2011年6月25日
  15. ^ http://www.weatherbase.com/weather/weatherall.php3?s=62071&refer=&units=us&cityname=Sinop-Turkey


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