ザ・スパイダース 解散後

ザ・スパイダース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 01:23 UTC 版)

解散後

堺正章、井上順は音楽活動以外にも映画・テレビドラマ・バラエティ番組などで、マルチなエンターテイナーとして活躍。

大野克夫は作曲家として数々のヒット曲を制作し、さまざまな映画、テレビドラマ、テレビアニメの音楽を担当している。

田邊昭知は、田辺エージェンシー代表取締役社長、長良プロダクション取締役、また日本音楽著作権協会(JASRAC)理事・日本音楽事業者協会(JAME)会長として、日本芸能界の裏方として大きな役割を担っている。

加藤充は解散後、プロベーシストとして数年活動した後引退、保険会社に入社しのちに役員となる。現在埼玉県所沢市に在住し、アマチュアバンド「カッペちゃんオールスターズ」を結成して地元に根付いた活動を行っている。

前田富雄も解散後いくつかのバンドを経て1970年代半ばに引退、現在は世田谷区松原 にて鮮魚店「前田商店」を経営する傍ら、地元でアマチュアバンドを結成し、商店街のイベントなどで活動している。

かまやつひろしは解散後ソロで活動していたが、2017年3月1日に膵癌のため死去。

井上堯之もギタリスト・作曲家・俳優と多彩な活動を行い個性を発揮してきたが、2009年に健康上の理由などのためプロ活動を引退、2018年5月2日に敗血症のため死去。

諸事情により一時期加藤が疎遠となったこともあるが、現在も前田を含むメンバー全員が親交を温めている。

再結成

ザ・スパイダースとしての再結成はこれまでに数回行われている。

  • 1976年12月、TBSラジオヤングタウンTOKYO』のかまやつひろし司会の番組「女の子だけで満員御礼」の最終回を記念して、メンバー7人が参加し、「ノー・ノー・ボーイ」「夕陽が泣いている」など7曲を演奏。井上順のソロで「ロンリー・ブルー・ボーイ」、井上堯之ソロの「ブルー・スェード・シューズ」なども披露された。
  • 1977年3月にNHKの歌番組『流行歌この10年』で、メンバー7人が参加し(ドラムは田邊)、「夕陽が泣いている」「バン・バン・バン」などを演奏。
  • 1981年1月の「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」で、メンバー7人が参加して、往年のヒット曲や「アラウンド・アンド・アラウンド」「デイ・トリッパー」などを演奏。
  • 1989年、堺正章と岡田美里の結婚披露宴でヒット曲を演奏した。
  • 1995年8月、関口宏司会のテレビ番組『関口宏のびっくりトーク ハトがでますよ!』で堺正章が特集された際、番組の中でメンバー7人による「堺正章バースディパーティー」が企画され、全員で「あの時君は若かった」を演奏。
  • 2000年、元「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」のメンバー・井上大輔(当時は本名の井上忠夫で活動)の音楽葬で、ベースの加藤を除く6人で再結成し、往年のヒット曲メドレーを演奏した。

ザ・スパイダースとしてではないが、1999年には堺正章、かまやつひろし、井上堯之の3人によるユニット「ソン・フィルトル」(フランス語で両切りタバコの意)が結成され、『NHK紅白歌合戦』に出場した。2008年には、テレビ特別番組『ザッツ宴会テイメント』で、田邊、加藤、大野以外のメンバーが出演し、「バン・バン・バン」「夕陽が泣いている」「フリフリ」「エレクトリックおばあちゃん」などを披露した。

堺正章が司会をするTBS系料理バラエティ『チューボーですよ!』→『新チューボーですよ!』には、かまやつひろしや、井上順がゲストとして出演する回も多く、「バン・バン・バン」などを披露したり、堺正章と井上順がそろって懐メロ番組に出演し、往年のヒット曲を歌う機会は何度もあった。

2013年には「堺正章 with ムッシュかまやつ・井上順」名義で、中野サンプラザ(4月26日)、梅田芸術劇場(7月25日)、大宮ソニックシティ大ホール(11月5日)の各会場で、平日一日限り・昼夜二回公演のコンサート「スペシャルコンサート2013 〜あの時君は若かった〜」が開催された。堺のソロコンサートのような名目だが、実際には冒頭から三人揃っての出演であり、スパイダースの結成から解散、その後のソロデビューまでを寸劇も交えて歌い上げた。

年表

1961年

春頃
ドラムスの田辺、ピアノとアコーディオンに元セブン・サンズの日吉武、スチールギターに元クレイジー・ウエスト〜カントリー・ジェントルメンの山田幸保、エレキ・ギターに元レッド・コースターズの伊藤源雄、ベースはジャズ出身の三科実のメンバーで結成。
5月
1日:初舞台を踏む。
3日:初の映画出演、日活映画『有り難や節 あゝ有り難や有り難や』[8]に出演。
8月
丘優子のシングル「スクスク/16個の角砂糖」の演奏を担当(日本コロムビア SA-692 1961年8月20日発売)。

1962年

主はジャズ喫茶や米軍キャンプ回り、堀プロの歌手のバック演奏。

5月
斎藤チヤ子のシングル「失恋の海」の演奏を担当(東芝 JP-5118 1962年5月下旬臨発。B面曲で、A面は同じ斎藤チヤ子による「愛のバルコニー」)。
専属シンガーとしてスリー・ジェット(井上孝之がいた三人組ボーカルグループ)が加入。
7月
大野克夫が加入。
11月
堺正章が加入。

1963年

春頃の2ヶ月程、加瀬邦彦が参加。

9月
この時点でのメンバーは田辺(ds)、伊藤源雄(g)、大野克夫(stl)、星野一(b)、渡辺治虫(p)、スリー・ジェット(vo)、堺正章(vo)。
その後加藤充、かまやつひろしが加入。

1964年

前半にリバプール・サウンドの旋風によりメンバーを再編。
2月
井上順が加入。
3月
14日:日活映画『仲間たち』に出演、封切り。
井上孝之がスリー・ジェットの歌手からギターに転向し、ここでGS期のメンバーに。
10月
LP『64年ヒット・パレード』をCBS日本コロムビア)より発売。

1965年

1月
ザ・ベンチャーズアストロノウツと共演。
4月
ピーター&ゴードンと共演。
5月
EP「リバプール・サウンズ」をクラウンレコード(現:日本クラウン)より発売。
ジャニーズのシングル「焔のカーブ」の演奏を担当。
10日:初のシングル「フリフリ」をクラウンより発売。
23日:渋谷のリキ・スポーツ・パレスでのイベント「モンキーで踊ろう」にスパイダースが出演。
6月
新宿厚生年金会館にてアニマルズと共演。
ジャニーズのシングル「焔のカーブ」の演奏を担当。
エディ・キングのシングル「イフ・オール・ユー・ニード」の演奏を担当(田辺、加藤のみ)。
8月
ハニーカムズザ・サファリーズと共演。
27日:「東西ロックバンド大会」に出演。
9月
再度来日したベンチャーズと日本各地でステージにあがる。
12日 - 14日
「インター・ナショナル・エレキ・フェスティバル」(国際会館ポール)にゲスト出演。
イギリス、VOX社と契約、世界中何処でもVOX社のアンプを使えるようになる。
10月
日本テレビ『世界へ飛び出せ〈ニュー・エレキ・サウンド〉』にレギュラー出演。
ラジオ「ビート・ザ・ビート」にレギュラー出演。
EP「ダイナマイト」をクラウンより発売。
LP『熱狂のエレキ・ギター 第2集』日本ビクター(現:JVCケンウッド)の音楽レコード事業部の「ビクターレコード」(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)より発売。
6日:NETテレビ『エキサイト・ショー』レギュラー出演。
11月
LP『あなたの選んだ65年ベスト・ヒット』をビクターレコードより発売。
5日:シングル「越天楽ゴーゴー」をビクターレコードより発売。
12月
EP「ベスト・オブ・エレキ・ヒット!! 第2集」をビクターレコードより発売。
4日:日活映画『高原のお嬢さん』に出演、封切り。
月日不明
ソノシート「ザ・スパイダーズ モンキー・ア・ゴーゴー」をビクターレコードより発売。

1966年

1月
ビーチ・ボーイズと共演。
2月
1日:シングル「ノー・ノー・ボーイ」、EP「青春ア・ゴーゴー」をフィリップス・レコード(当初の発売元は日本ビクターだったが、後に日本フォノグラム〈現:ユニバーサルミュージックジャパン〉へ移管された)より発売。
3月
オランダ・フィリップスより「フリ・フリ/リトル・ロビー」が発売。
ソノシート「ザ・スパイダース作戦」をコダマプレスより発売。
10日:シングル「青春ア・ゴーゴー」をクラウンレコードより発売。
17日 - 22日
沖縄で「世紀のエレキ大会─田辺昭知とザ・スパイダース・ショー」を開催。
27日:日活映画『青春、ア・ゴーゴー』に出演、封切り。
4月
15日:シングル「ヘイ・ボーイ」をフィリップス・レコードより発売。
初のアルバム『ザ・スパイダース アルバム NO.1』をフィリップス・レコードより発売。
5月
ホリプロから独立し、田辺昭和を社長に「スパイダクション」設立。
5日 - 12日
初の「日劇ウエスタンカーニバル」出演。
20日:EP「スパイダース・ア・ゴーゴー」をフィリップス・レコードより発売。
6月
TBS『歌謡曲ベスト10』に初登場。
TBS「ヤマハ・ヤング・ジャンボリー」の準レギュラーに。
1日:EP「青春ア・ゴーゴー/モンキーダンス/フリフリ/クライ・アンド・クライ」をクラウンレコードより発売。
アルバム『ザ・スパイダース アルバム NO.2』を発売。
20日:EP「サマー・ガール」を発売、このレコードよりフィリップス・レコードと正式契約。
30日:日活映画『涙くんさよなら』出演、封切り。
7月
1日:シングル「サマー・ガール」発売。
8月
ジャニーズの「7ショー」にゲスト出演。
27日 - 29日
「日劇ウエスタンカーニバル」出演。
9月
TBS『バラエティ』のレギュラーに。
3日:チャリティショー開催(渋谷公会堂)。
21日:守屋浩本間千代子夫妻の結婚式で演奏。
25日:シングル「夕陽が泣いている」発売。
10月
24日 - 11月14日
初のヨーロッパツアー。
25日:オランダ国営放送の音楽番組に出演。
27日:アムステルダムを出発、パリへ。
28日 - 30日:パリ国営ラジオ出演。
30日:パリ見物。
31日 - 11月2日:パリを出発、ローマへ。
11月
2日:ローマでビートクラブ、パイパークラブに出演。
3日 - 10日:ドイツ、ハンブルクへ出発。3日滞在。テレビ、ラジオに出演。
7日:デンマーク、コペンハーゲンのヒットハウスに出演。
12月
25日:シングル「なんとなく なんとなく」発売。

1967年

2月
5日:アルバム『スパイダース'67』発売。
3月
1日:シングル「太陽の翼」発売。
アルバム『ゴー!スパイダース、フライ・サベージ』発売。
4月
15日:EP「ダンス天国」発売。
5月
5日 - 12日:「日劇ウエスタンカーニバル」出演。
20日:日活映画「夕陽が泣いている」出演、封切り。
6月
22日 - 7月5日:ハワイ、アメリカ・ツアー。
7月
15日:シングル「風が泣いている」発売。

注釈

  1. ^ 常日頃から田辺より「いずれリード・ギターにしてやるから!」と言われるも希薄な気配を感じ取り、とある日のジャズ喫茶出演時、田辺のドラム・ソロの真最中に「お世話になりましたっ!」とギターを抱え失踪。寺内タケシとブルージーンズを経てザ・ワイルドワンズ結成の運びとなる(「強行手段に出なければ辞めさせてもらえなかったので苦渋の策だった」とTVで語っている)。
  2. ^ 1985〜1987年の何れかに読売テレビスター爆笑Q&A』でGS特集の際に出演したかまやつひろしが詳細を語っていた。
  3. ^ スパイダースはこの曲をアニマルズのアレンジを元にカバーしていたため、出番と勘違いしたヴォーカルのエリック・バードンがステージへ飛び出して来そうになったという[7]
  4. ^ 「フリフリ」のジャケット写真にかまやつが写っていないが、これはかまやつが撮影時に遅刻をしたためである。また、かまやつが到着してからも写真を撮っているが、何故か6人の写真がジャケットに採用された。

出典

  1. ^ [1]
  2. ^ 大野克夫先生インタビュー:日本テレビ音楽株式会社
  3. ^ ザ・セント・オー・ジーンズホームページ 加藤充インタビュー
  4. ^ 日本の60年代ロックのすべて:COMPLETE:ロカビリー登場からGS革命まで 黒沢進シンコーミュージックエンタテイメント 2008年3月刊 かまやつひろしインタビュー 220頁[注釈 2]
  5. ^ 「贅沢な人生。」セオリーvol.1、講談社、2009年1月、120頁。
  6. ^ 「贅沢な人生。」セオリーvol.1、講談社、2009年1月、123頁。
  7. ^ フォーエヴァーマガジン VOL.5 1983年9月刊 かまやつひろしインタビュー 95頁
  8. ^ https://www.nikkatsu.com/movie/20543.html


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