カンボジアの歴史 中世

カンボジアの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 05:28 UTC 版)

中世

クメール王朝

クメール王朝

シャイレーンドラ朝からの独立は、ジャヤーヴァルマン2世英語版(802-854年)により行われた。ジャヤーヴァルマン2世はプノン・クーレン丘陵の頂上で即位[5]を行い、シャイレーンドラ朝からの解放を宣言した。これがアンコール王朝(クメール王朝)の始まりである。9世紀の末、ヤショーヴァルマン1世(889-910年頃)がアンコールに新都城「ヤショーダラプラ英語版[6](889-1190年)を築いた。このときの勢力範囲は、現在の東北タイ地域まで広がっていた。その後何代かの王が続くが、勢力争いや逝去で、どの王朝も長くは続かなかった。

1113年スールヤヴァルマン2世が即位し、国内各地の敵対勢力と戦い国内を統一、国外においても西方のチャオプラヤー川デルタのシャム人やモン人と戦い、南隣のチャンパ王国や東隣の李朝へ攻め入った。王国の範囲は、タイ中部、マレー半島ベトナム南部におよび、また、彼は寺院建築にも熱心で、クメール美術フランス語版の最高傑作であり、自身の墓でもあるアンコール・ワットを始め、トマノンバンテアイ・サムレなどのヒンドゥー教寺院を建築した。この王の治世も平穏安泰ではなかった。1150年頃死去した。

スールヤヴァルマン2世死後、王位を巡り争いが続いた。さらに1177年には、チャンパ王国の大軍が都であったヤショーダラプラを破壊した。

タ・プローム

1181年、チャンパに遠征していたジャヤーヴァルマン7世が帰国し、即位した。彼は粘り強く国づくりを進め、1190年には宿敵チャンパを降伏させた。また、8メートルの高さの堅固な城壁の「輝ける新都城」アンコール・トム(1190-1431年)を都として造成した。アンコール王朝の最盛期であった。熱心な大乗仏教の信者であった王は、都の中心にバイヨンを建設し、バンテアイ・クデイ、1186年にタ・プローム(僧院)、1191年にプリヤ・カーンなどの仏教寺院を建設した。

また、ジャヤーヴァルマン7世は、国内に102箇所の病院と主要街道に宿場を建設し、庶民の生活も重視した。しかし、大規模な寺院建設と領土獲得の遠征のため、死後(1220年)は国力が衰退していったと考えられている。その後、インドラヴァルマン2世、ジャヤーヴァルマン8世(1243-1295年)が継いだ。1283年クビライモンゴル帝国の軍がアンコール・トムに侵攻した。ジャヤーヴァルマン8世は、1285年と1292年に元朝に朝貢した。この治世に廃仏事件が起こり、ヒンドゥー教に由来する題材に彫り直された。1295年に仏教徒のインドラヴァルマン3世英語版がジャヤーヴァルマン8世を殺害し、王位に就いた。

13世紀にはいるとの侵攻が始まり、後半からは、シャム(アユタヤ王朝)の侵攻が始まった。


  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典カウンディンヤ』 - コトバンク
  2. ^ 深見純生「混填と蘇物--扶南国家形成の再検討」『国際文化論集』第39号、桃山学院大学総合研究所、2009年3月10日、7-9頁、ISSN 0917-0219OCLC 835763878 
  3. ^ 黎蝸藤 (2020年5月7日). “漢化與夷化:「中國人早已被遊牧民族化」是否成立?”. 関鍵評論網. オリジナルの2020年6月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200615092443/https://www.thenewslens.com/article/134488 
  4. ^ Sdok Kok Thom碑文
  5. ^ 転輪聖王(正義をもって世界を治める王)として認知を受けた。
  6. ^ 最初の都城はハリハラーラヤ英語版(802-889年)。この都城「ヤショーダラプラ英語版」には周囲16キロメートルの環濠があったらしい。その築堤の遺構が残存する。巨大な貯水池東バライを造成、「ヤショダラタターカ(ヤショーヴァルマン王の池)」と命名した。現在のプノン・バケン寺院(護国寺院)を建立。国内各地に「アーシュラマ(僧房)」
  7. ^ 宮家邦彦 (2013年5月24日). “文革がカンボジアに残した傷痕 歴史を直視しない中国~中国株式会社の研究”. JBpress. http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37847 2013年5月24日閲覧。 
  8. ^ 清野 真巳子『禁じられた稲-カンボジア現代史紀行』連合出版、p.42
  9. ^ 『NAM』同朋舎出版、見聞社編、p.532
  10. ^ デービッド・P・チャンドラー,『ポル・ポト伝』めこん、p.131
  11. ^ ダニエル・エルズバーグ著「ベトナム戦争報告」p174,筑摩書房
  12. ^ エール大学Cambodian Genocide Program:http://www.yale.edu/cgp/us.html
  13. ^ 「インドシナ現代史」p103,連合出版
  14. ^ 「インドシナ現代史」p104,連合出版
  15. ^ a b Ben Kiernan, How pol Pot came to Power(second edition), p.414, 2004, Yale University Press, ISBN 0-300-10262-3
  16. ^ ベトナムでは4月30日サイゴンが陥落しベトナム戦争が終結した。
  17. ^ 井上恭介、藤下超 著「なぜ同胞を殺したのか」p103,日本放送出版協会
  18. ^ NHK取材班著「激動の河メコン」p32,日本放送出版協会





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