オスマン家 スルタン=カリフ制

オスマン家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/20 02:15 UTC 版)

スルタン=カリフ制

19世紀に入ると国勢の衰退したオスマン帝国に、キリスト教徒の列強君主に対抗してオスマン皇帝のスンナ派イスラム教徒に対する宗教的権威の優越が期待されるようになり、オスマン家の君主にはスルタンの世俗的権力とカリフの宗教的権威が兼ね備えられているという主張が生まれた(スルタン=カリフ制)。9代セリム1世マムルーク朝を滅ぼしたとき、マムルーク朝の庇護下にあったアッバース朝の末裔からカリフ権を譲り受けたという伝説は、この目的のために創作されたものと考えられている。しかし、19世紀以前にも、スレイマン1世の時代に大宰相リュトフィー・パシャなどによりスルタン=カリフ制が主張されることもあった。

特にイスラム教徒の人口を多く抱えるインドでは、宗主国イギリスに対するイスラム教徒の民族運動の精神的支柱としてカリフが重要視された。これを恐れたイギリスは、カリフとなる者は預言者ムハンマドと同じクライシュ族に属するアラブ人でなくてはならないというスンナ派の規定を持ち出し、トルコ人のオスマン家がカリフを称するのは僭称であるとするキャンペーンを張ったが、オスマン帝国がスンナ派イスラム諸国で最大の強国であるという現実に支えられて、オスマン家のカリフ位に対する疑問はアラブ世界ですらもほとんど持たれることはなかった。

1876年に制定されたオスマン帝国憲法はこれを条文として盛り込み、オスマン帝国の君主はオスマン家の当主によって世襲され、世俗政治の最高権者であるスルタンと、ムスリムの宗教的な指導者であるカリフの権能を兼ねることが明文化される。

オスマン家の追放

第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北し帝国領が連合国によって分割占領されると、アナトリアムスタファ・ケマルらを指導者とする抵抗運動が起こった。これに対して連合国はイスタンブールを占領し、イスタンブールのメフメト6世の政府も連合国の圧力に屈して帝国の分割反対を叫ぶ帝国議会を解散したため、アンカラの抵抗運動組織と帝国議会の勢力がアンカラに結集して大国民議会を設立してオスマン帝国政府に対抗する革命政権を打ち立てた。これにより生じた二重政府状態を解消するため、連合国との戦いを休戦させた大国民議会は1922年、イスタンブールのオスマン帝国政府を消滅させることを決定した。ムスタファ・ケマルはムスリムのカリフとして高い権威を持つオスマン家を廃位すれば、国内外の反対が避けられないと判断し、大国民議会にスルタン=カリフ制を廃止してスルタンとカリフの地位を分割し、さらにスルタン制を廃止してメフメト6世を廃位することを決議させた(トルコ革命)。

1923年には共和制が宣言されてトルコは共和国になり、さらに1924年、カリフとして即位したアブデュルメジト2世が廃位された。カリフ制の廃止英語版とともにオスマン家の全成員はトルコからの国外退去を命ぜられ、オスマン家の支配は完全に終焉した。

トルコ追放以来、オスマン家はトルコ国外において年長者が帝位継承者として家長の座を継承しており、ニューヨーク在住のエルトゥールル・オスマン1992年にトルコ政府の招きで一時帰国。その後1994年に第43代オスマン家当主に就任後の2004年にトルコ共和国のパスポートを取得して帰国。2009年に死去するまでイスタンブールに居住した。このようにオスマン家の国外追放は解かれたため、イスタンブールに帰った者も多い。エルトゥールル・オスマンの死去を受けて第44代オスマン王家当主にはアブデュルメジト1世の曾孫にあたるバヤジット・オスマン(2009年 - 2017年)が就任した。その後、バヤジット・オスマンも亡くなると、シリア在住のデュンダル・アリ・オスマンが就任。シリア内戦の激化に伴いトルコ、イスタンブールへ帰国。デュンダリ・アリ・オスマンが死去すると弟のハルーン・オスマンが当主に就任した。

歴代オスマン家家長

以下にオスマン帝国滅亡後(帝政廃止後)の歴代オスマン家家長を挙げる。第38代以降は帝位請求者であり、身位は「オスマン帝国皇子」で称号は「殿下(His Imperial Highness)」である(オスマン帝国時代の歴代家長についてはオスマン帝国の君主を参照)。







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