腰高障子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 00:57 UTC 版)
鎌倉時代の絵巻に現れる明障子はちょうど画像19のように、蔀の下半分を填めたままにし、蔀の上の部分を開放して、そこから日差しを取り入れる姿が多い。この姿を障子1枚で実現したものが南北朝時代の観応2年(1351年)に描かれた本願寺覚如の伝記絵『慕帰絵詞』の僧房に描かれている。下半分を舞良戸仕立て、上は明障子で腰高障子と呼ぶ。画像17は当初二条城内に建てられた茶屋・聴秋閣であるが、中央の開いているその両側が腰高障子である。この腰高はは少し低く見えるが通常約80cmで、蔀の下半分とほぼ同じ高さである。
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