経営難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 08:36 UTC 版)
しかし、生駒トンネル掘削の難工事による多額の出費が原因で経営難となり、沿線の生駒聖天から賽銭を借りて当座の経費を賄うほどに窮迫した。主要利用客である生駒山参詣者の人出がお天気次第なので運賃収入もお天気次第、という意味で「『大阪電気軌道』でなく“大阪天気軌道”」、空気のように頼りない経営状態から「『大軌』でなく“大気”」、と揶揄されたことさえあった。 更に岩下など、設立に関わった取締役も次々に手を引くようにして辞めてしまい、大軌に残ったのは金森又一郎(後に社長、「大軌の実質創業者」とも呼ばれる)など数名のみとなり、毎日会社に債権者が押しかけるという事態にも陥った。このため実業家の片岡直輝が、大軌の依頼で生駒トンネルを建設したものの、代金未払いの状態が続いたことが原因で、倒産寸前に陥っていた大林組とセットで大軌の再建に乗り出した。 その後、経費削減などの経営努力と利用客の増加により辛うじて大軌は再建し、1916年(大正5年)3月には一応の債務整理を完了した。
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