東西ドイツ基本条約
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ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国の関係の基礎に関する条約 ドイツ語: Vertrag über die Grundlagen der Beziehungen zwischen der Bundesrepublik Deutschland und der Deutschen Demokratischen Republik | |
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![]() 1972年12月21日、条約調印後の記者会見に応じるエゴン・バール(左)とミヒャエル・コール | |
通称・略称 |
東西ドイツ基本条約 ドイツ語: Grundlagenvertrag |
署名 | 1972年12月21日 |
署名場所 | 東ベルリン |
発効 | 1973年6月 |
締約国 | ドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ) |
言語 | ドイツ語 |
主な内容 | 相互に主権国家として承認 |
関連条約 |
ベルリン4ヶ国協定 ハルシュタイン宣言 |
条文リンク |
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東西ドイツ基本条約(とうざいドイツきほんじょうやく、ドイツ語: Grundlagenvertrag)は、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)が 、相互に主権国家として承認した条約である。
正式名称は、「ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国の関係の基礎に関する条約」(ドイツ語: Vertrag über die Grundlagen der Beziehungen zwischen der Bundesrepublik Deutschland und der Deutschen Demokratischen Republik)。
内容
東方外交により、西ドイツがハルシュタイン宣言を放棄することで、初めて実現した。
1971年にベルリン4ヶ国協定が施行された後、両国は基本条約に関する交渉を開始した。1972年のトランジット協定のように、議論もエゴン・バール(西ドイツ)とミヒャエル・コール(東ドイツ)によって主導された。ヴィリー・ブラント連邦首相の東方外交の一環として、条約は1972年12月21日に、東ベルリンにおいて署名された。
条約は、保守強硬派からの反対にもかかわらず、西ドイツにおいてその翌年に批准され、1973年6月に効力が発生した。
注釈
- Grundlagenvertrag (21. Dezember 1972)(ドイツ語、ドイツ歴史研究所)
- 両独間基本条約と関係文書(日本語訳、外務省)
関連文献
東西ドイツ基本条約
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「ヴィリー・ブラント」の記事における「東西ドイツ基本条約」の解説
政治的基盤を強化したブラントはそして東ドイツとの関係正常化に取り組んだ。東ドイツをドイツ民主共和国と呼び、一民族二国家論の立場をとった。いわゆる「接近による変化」で東西間の対話や交流を促進し硬直した東西関係を改善するために12月21日に東ドイツと東西ドイツ基本条約を結び、相互に国家として承認した。ブラントは二国家に分かれても交流を進めることでドイツ人としての一体性は維持できると考えていた。東ドイツは外国ではなく再統一への含みを残したのである。
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