広目屋とは? わかりやすく解説

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広目屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/17 22:45 UTC 版)

株式会社廣目屋
HIROMEYA CO.,LTD.
種類 株式会社
本社所在地 日本
104-0061
東京都中央区銀座1-6-1
廣目屋ビル
設立 1923年10月1日
業種 サービス業
法人番号 5010001054923
事業内容 博覧会、展示会等の催事のディスプレイ
代表者 代表取締役社長 堀晴一
資本金 1,022万円
従業員数 30名
外部リンク http://www.hiromeya.co.jp/
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株式会社広目屋(ひろめや、登記社名: 株式会社廣目屋)は、日本の広告代理店である。1885年(明治18年)創業の老舗である。

略歴・概要

1885年(明治18年)、秋田柳吉が東京市京橋区五郎兵衛町(現在の東京都中央区八重洲2丁目)に開業した。「廣目屋」の命名は小説家仮名垣魯文である。当初は「楽隊広告」、いわゆる「チンドン屋」で知られ、「西の東西屋、東の広目屋」と呼ばれた。

1895年(明治28年)、日清戦争をテーマに、幻灯上映を芝区(現在の港区芝公園)の「弥生館」で、川上音二郎の演劇を「浅草座」でそれぞれ興行し、それがそれぞれ同社の「興行部」、「装飾部」の始まりとなる。「宣伝広告部」に関しては、

1897年(明治30年)、現在も同社の位置する銀座1丁目に移転、「宣伝広告部」と「興行部」、「装飾部」の3部を置く。同年2月21日大阪の荒木和一が、エジソン社の「ヴァイタスコープ」を大阪で公開、続いて3月6日には東京の「新居商会」が神田錦輝館神田区錦町、現在の千代田区神田錦町)で公開するにあたり、宣伝の発注を受けた。同時に上陸したフランスリュミエール社の「シネマトグラフ」は大阪ではヴァイタスコープの7日前に公開されたが、東京では「3日間」早く公開することに成功した。

1905年(明治38年)、明治座で、日露戦争を撮影した『日露戦争実写活動写真』を興行。

1923年(大正12年)10月1日、「株式会社廣目屋」と法人組織に改組、現在に至る。

1972年(昭和47年)、現在地に本社ビルを竣工した。

廣目屋」 開店や大売出しを宣伝する楽隊などを使った広告屋。チンドン屋の先駆。大阪からやってきた秋田柳吉が明治21年(1888年)、京橋五郎兵衛町で広告宣伝の店「廣目屋」(屋号は仮名垣魯文による)を開業。やがて「廣目屋」は、広告屋を意味する普通名詞 として用いられるようになっていった。「廣目屋」と記された幟と、編み笠をかぶった和服姿の楽隊の絵あり。 『世渡風俗圖會』にも、編み笠をかぶった楽隊の廣目屋や、大八車に商標を飾り付けた廣目屋が描かれている。 — 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「廣目屋」より抜粋[1]

脚注

  1. ^ 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「廣目屋」国立国会図書館蔵書、2018年2月10日閲覧

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