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オフコース

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 18:23 UTC 版)

オフコース英語: OFF COURSE)は、1967年から1989年2月26日まで活動した日本バンド1970年デビュー。「さよなら」や「Yes-No」などのヒットソングで知られ、1982年には日本武道館において連続10日間のコンサートを成功させた。


注釈

  1. ^ その数少ないテレビ出演も歌番組ではなくオレたちひょうきん族等のバラエティ番組でファンを驚かせた。[要出典]
  2. ^ 大間はSoul & Beat Unit 天地人を2003年に結成。
  3. ^ 小田は2004年12月25日放送の『クリスマスの約束』でオフコースを取り上げているが、それは元メンバーに対して「(オフコースは)終わった」、「オフコース(の再結成)はもうないよ」というメッセージだという旨の発言をし、言葉をつまらせている。また、2004年10 - 12月放送の『風のようにうたが流れていた』では、「オフコースは学校のようなもの。学校はいずれ卒業する時が来る」と語っている。[要出典]鈴木の考えは鈴木康博の項参照。
  4. ^ 大阪の中学時代の同級生だった廣田龍人(リッキー)(ジョン担当)と清水仁(ポール担当)を中心に1969年結成されたビートルズコピーバンド。メンバーは廣田・清水のほか、ダンスホールのオーディションに彼らと共に来ていた他のバンドの川端孝博(ジョージ担当)と、廣田の弟の友人の城間正博(リンゴ担当)。1973年9月20日にアルバム『MEET THE BAD BOYS』 (LP:ETP-8269)でデビュー、同年10月20日にシングル『ビートルズが教えてくれた ⁄ チークを踊ろう』 (EP:ETP-2924)をリリース。1975年8月20日に2枚目のシングル『僕と踊ろう ⁄ アイツのせい』 (EP:ETP-20166)をリリース後、同年冬に解散。
  5. ^ 当初は本編の前座的な意味合いで午前中に登場、「グリーン・スリーブス」や「イエロー・バード」などフォークのヒット曲を演奏し歌ったが評判となり、閉会式の前にアンコールでステージに立った。このとき味わった喜びが、その後の小田・鈴木・地主の音楽を通じての交流に繋がった。[要出典]
  6. ^ 「そこなら十分に受かるだろう」と言われていたことから高校三年生の時、千葉大学医学部を受験するつもりで、キャンパスを見に行った。しかし、校舎、教室、白衣を着た学生たちの雰囲気が暗かったことから、志望を変えた[6]
  7. ^ 「西花苑」は、現:仙台市青葉区西花苑にあった遊園地。1963年(昭和38年)から昭和40年代まで存続し、小西造園が運営していた。ヘルスセンター(南欧風ジャングル大浴場・200畳の大広間)、花のコーナー(温室・花壇・熱帯植物園)、子供用の遊具などで構成されていた。仙台地区予選は温室で開催された。
  8. ^ 仙台地区からの出場は、関東地区から出場すれば非常に競争が激しいだろうという計算もあってのことだったが、実際には関東地区よりも仙台地区のほうがレベルが高かった。申し込みに行くと早速、係員に全国大会までの日程を尋ねた。合計四回行われる大会について詳しく聞いてゆくと、係員は途中からまるで真剣に取り合わなかったという。前年の「第3回 FOLK SONGの…」を最後に解散と考えていたが、もうひとつ、客観的な尺度での評価を受けたいとの希望からの出場だった。その一方で、「うまくすれば全国大会まで進めるかもしれない」という自信もあった。[要出典]
  9. ^ 第1位は赤い鳥
  10. ^ この時のレパートリーは「One Boy」(ミュージカル『バーディー・バーディー』挿入歌)と「Jane Jane」(ピーター・ポール&マリー)、小田は最優秀歌唱賞を受賞。
  11. ^ 自分たちの演奏には絶対の自信があり、優勝して「ジ・オフ・コース」とアマチュア音楽活動を終え社会人になるつもりだったが、2位にとどまったことで小田・鈴木は気持ちに決着がつかなくなった。鈴木はミュージシャンになることを親に反対されていたが、これで音楽で生きて行く決心が固まり、内定を取っていた安川電機への就職を辞退した。[要出典]
  12. ^ パシフィック・エンタープライズが、プロダクション業務以外の事業を、並行して行うことに決まり、それまでも事務所の方針に疑問を感じることがあったミュージシャン達は、これを機に全員事務所から脱退した[9]。加藤和彦、杉田二郎はそれぞれ独立事務所を設立することになり、オフコースは両方から誘いを受けた。加藤の事務所はプロダクションとPA会社“ギンガム”を併合したもので音楽的に魅力があった。片や杉田には一緒にコンサートを回るうちに人間的に惹かれ結局、杉田の「俺について来い」の一言で意を決した[9]。後に小田は、加藤にそう決まったことを報告したら、「二郎のところもいいけど、音楽、全然違うじゃん」と言ったのを覚えているという[10]
  13. ^ 東芝レコード所属アーティストによるイベント・コンサート。出演:トワ・エ・モワ、イースト、オフ・コース、アリスシュリークス、はしだのりひことエンドレス、ザ・ラニアルズチューリップりりィ、杉田二郎、加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド、赤い鳥。
  14. ^ このコンサートの数日前に新曲「忘れ雪」(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)が発売されたが、自分たちが望んでリリースした曲ではないとの理由で演奏しなかった。この出来事はファンの間で“「忘れ雪」事件”と呼ばれるようになり[12]、この曲はその後も演奏されることはなかった。
  15. ^ 以前にレギュラー出演していたラジオの公開番組からヒントを得た、当時のマネージャー上野博の発案で計画されたシリーズ・コンサート。ひと味違った人たちと触れ合う中で何か新鮮なものを見つけ、色彩の豊かなコンサートにしようという目的で[13]、この年に5回、全部で計8回開かれた。
  16. ^ 聖光祭実行委員会のイベント担当者が依頼したところ、音響設備だけ手配すればとの条件で、ノーギャラでの出演をOKした。このコンサートの開始前には、オフコースの2人と同期にあたる当時の世界史担当の斉藤教諭と在校生との座談会を実施。座談会には、10月4日の“秋ゆく街でII”で「オフコース万歳」と叫んだ声がライブ・アルバムにも収録された当時の現役聖光生も出演した。コンサート終了後、在校生が花束贈呈とともにステージ上で「オフコース万歳」と叫んだ。[要出典]
  17. ^ 清水の参加に、鈴木は「最初は俺は、ヒトシさんがメンバーになることに反対していたんだよ(笑)。というのもさ、それまで(小泉)良司にベースをやってもらっていたんだけど、彼の方が器用で、テクニック的にもうまかったからね、そういう音楽的な意味でさ、ヒトシじゃない方がいいんじゃないかと思っていたわけ(笑)。でも小田が「絶対オフコースにはヒトシのような人柄の人間が必要だ。ヒトシの方が絶対いい」って引き下がらないんでね(笑)、多少納得しきれないところもあったんだけど、まあいいだろうってことになった。でも、やっぱり人間的な雰囲気はすごくよかったからね、結果的には小田の言う通りになった(笑)」[14] と、後に語っている。
  18. ^ “全国60か所”というのはというのは県庁所在地クラスの都市40か所以上を回る、一流の証だという。[要出典][誰によって?]
  19. ^ 曲目:季節は流れて - やさしさにさようなら - 眠れぬ夜 - 恋を抱きしめよう - 通り過ぎた夜 - あなたのすべて - 新しい門出 - ひとりで生きてゆければ - 潮の香り - 秋の気配 - California Dreamin' - 想い出のサンフランシスコ - 君を待つ渚 - 愛の唄 - 老人のつぶやき - HERO - 心は気紛れ - ランナウェイ - のがすなチャンスを - 愛を止めないで - (アンコール) 風に吹かれて - 眠れぬ夜 - ランナウェイ - さわやかな朝を迎えるために - のがすなチャンスを - いつもいつも[16]
  20. ^ 曲目:愛を止めないで - 眠れぬ夜 - おまえもひとり - こころは気紛れ - 愛の唄 - Today - A Soalin' - 僕の贈りもの - でももう花はいらない - Day By Day - 秋の気配 - 風に吹かれて - Yes-No - 一億の夜を越えて - のがすなチャンスを - 私の願い - きかせて - 僕等の時代 - 時に愛は[18]
  21. ^ 他に松任谷由実水の中のASIAへ』、大滝詠一A LONG VACATION』も同賞を受賞。
  22. ^ それまでテレビメディアの取材をほとんど受けなかったため、当時異例の番組だった。アルバム『over』のレコーディング・リハーサル初日(8月16日)から終了(10月30日)までの約2か月半を密着取材。レコーディングの様子のほか、2月10日の日本武道館公演の模様も放送された。[要出典]
  23. ^ 最終日には小田が「言葉にできない」で感極まり、歌に詰まっている。[要出典]
  24. ^ ストーリーは1982年夏の武道館コンサート後に解散し、それぞれの道を歩んでいたメンバーが5年後の1987年夏に無理矢理再結成させられ、9月21日に再び武道館でコンサートを行うというもの。6月30日の武道館のライヴ映像がダイジェストで使われた。共演は謎の男役に中村敦夫、再結成についてコメントをする近藤真彦(声は田原俊彦)・具志堅用高小森和子(の物真似)で片岡鶴太郎がそれぞれ出演したほか、メンバーを連れ去る2人組としてスタッフの富樫要と柿崎譲二も出演した)。
  25. ^ 当時の彼らのプライベート・スタジオ名にちなんで“GETTING BETTER DEMO”と題されたこのときのレコーディング曲は「SAYONARA(さよなら)」、「CITY NIGHTS(哀しいくらい)」、「YES-YES-YES (YES-YES-YES)」、「QUIET AS THE NIGHT(きかせて)」、「THE LITTLE ONES(生まれ来る子供たちのために)」、「THE PRICE OF FAME(NEXTのテーマ〜僕等がいた)」、「MYSTERY IN MY LIFE(哀しき街)」、「IT'S NOT MY AFFAIR(せつなくて)」、「GOOD TO HAVE YOU HERE (Yes-No)」の計9曲。[要出典]
  26. ^ タモリは、自身のラジオ番組でオフコースについて「見せかけだけの優しさ」と批判し、「フォークソングは暗くて嫌い」とも発言していた[22]これによりオフコースのファンから所属事務所へカミソリ入りの脅迫状が届くまでになったが、小田本人はタモリのことは「けっこう好き」と雑誌『ギターブック』でファンからの質問に回答し、このときの出演も簡単にOKした。[要出典]
  27. ^ 曲目:おまえが欲しいだけ(吉田拓郎) - Yes-No
  28. ^ ライブの開催について、後に小田は「俺は、“本当にスタッフのみんながやりたいって言ってるのか?”って、そう尋ねたのさ。そしたら、“そうだ。やりたいと、言ってる”って。“じゃあ、やろう”。この時は、メンバーの間でのわだかまりも、すでになかった」[23] と、インタビューで答えていた。
  29. ^ 曲目:緑の日々 - 君住む街へ - LAST NIGHT - 夏の日 - こころは気紛れ - 逢いたい - 時に愛は - 言葉にできない - きかせて - たそがれ - 夏の別れ - IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU) - She's so wonderful - 君が、嘘を、ついた - ぜんまいじかけの嘘 - Tiny Pretty Girl - YES-YES-YES - 生まれ来る子供たちのために - 君住む街へ - (アンコール)Yes-No - 眠れぬ夜 - 愛を止めないで - いつもいつも[24]
  30. ^ 小田の弾き語りソロでパフォーマンスされた8曲目の「言葉にできない」の曲中、感極まったのか突然小田のボーカルが途絶えた(中略)。音だけが流れてゆく。会場から声がとぶ。それはやがて大きな拍手となって、ステージの小田に降り注ぐ。その声援に気を取り直したかのように歌い終えた小田は、一言「だから歌いたくなかったんだよね、この歌は」と、誰に語りかける風でもなく、ポツリとつぶやいた[25]
  31. ^ 小田にとってグループ解散後初の、元メンバーの楽曲へのレコーディング参加作品。

出典

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  2. ^ a b オフコース(オフコース)の情報まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2021年1月13日閲覧。
  3. ^ 田中隆信 (2020年5月17日). “デビューから50年!オフコースの歩みと伝説の武道館コンサート”. ホミニス (スカパーJSAT). https://hominis.media/category/musician/post5768/ 2020年6月27日閲覧。 
  4. ^ a b c d e NHK教育若い広場』「オフコースの世界」(1982年1月3日放送)[出典無効]
  5. ^ a b c d e f g “バイオグラフィー”. オフコース (UNIVERSAL MUSIC LLC). https://sp.universal-music.co.jp/offcourse/bio/ 2021年1月23日閲覧。 
  6. ^ 『Give up オフコース・ストーリー』株式会社飛鳥新社、1982年8月1日、137-166頁。全国書誌番号:83035915。"第四章 グッドバイ"。 
  7. ^ “ドラマ『OUR HOUSE』主題歌「愛を止めないで」のオフコース、“OFF COURSE”の“F”はなぜ2つなのか”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク). (2016年4月20日). https://www.barks.jp/news/?id=1000126379 2020年6月27日閲覧。 
  8. ^ a b 『はじめの一歩(1)』株式会社サンリオ、1983年8月15日、56-70頁。全国書誌番号:84007237。"第一章 FOLK SONGの…"。 
  9. ^ a b 『はじめの一歩(1)』株式会社サンリオ、1983年8月15日、113-114頁。全国書誌番号:84007237。"第二章 サブミュージック・パブリシャーオフィス"。 
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  16. ^ 『はじめの一歩(2)』株式会社サンリオ、1983年8月15日、246-258頁。全国書誌番号:84007237。"資料 コンサート全曲目"。 
  17. ^ スージー鈴木『1979年の歌謡曲』彩流社、121頁。ISBN 4-7791-7038-9 
  18. ^ 『はじめの一歩(1)』株式会社サンリオ、1983年8月15日、246-258頁。全国書誌番号:84007237。"第四章 一九七七〜七八年"。 
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  25. ^ 原信治「The Scene 1 さよなら! オフコース。たくさんの思い出をどうもありがとう!!」『週刊FM』第19巻第8号、株式会社音楽之友社、1989年4月3日、10-11頁、20901 4/3“'89年2月26日/オフコース・ファイナル ライブ・レポート” 
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  40. ^ Gallery-Untitled 松尾一彦公式サイト内BBS “2677 Re:2674 I always cry at christmas。”投稿日:2009/12/25(Fri) 18:15[リンク切れ]



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