PKARC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 00:50 UTC 版)
1985年、カッツはPKARCと呼ばれるデータ圧縮プログラムをPKWARE社から発表した。PKARCは当時最も普及していた圧縮プログラムであるARCと互換性があった。ARCはC言語で書かれたソースコードとともに配布されていたが、PKARCはこれを部分的にアセンブラへ書き換えることでより高速な動作を実現していた。当時のコンパイラは現在のコンパイラほど最適化効率が良くなかったため、高級言語で書かれたプログラムは動作が遅かったのである。カッツにはソースコード最適化に関して天性の才能があり、最も効率的なC言語のソースコードを作成するため、同一のタスクに対して複数のソースコードを作成してコンパイラの出力結果を比較し、プログラムの最適化を行った。これらの最適化作業によりPKARCの動作は非常に高速であったため、このソフトは既存のソフトよりも有名となっていった。 カッツは当初、フリーウェアの解凍専用プログラムとしてPKXARCを公開したが、これはBBSコミュニティー中で猛烈な勢いで広まっていった。コミュニティーからのポジティブフィードバックと励ましが、カッツの製作した初めての圧縮プログラムでありシェアウェアであるPKARC作成の原動力となったのである。 しかし、カッツがPKXARCを公開後すぐにARCの販売元であったシステム・エンハンス・アソシエイツ社(System Enhancement Associates、以下SEAと略す)は、カッツがARCのソースコードのかなりの部分を盗用していたことを発見した。同社は商標違反と著作権侵害でPKWARE社を訴えた。同社に雇われた鑑定人によると、カッツは非常に広範囲に渡ってARCのソースコードを盗用しており、ソースからは全く同じコメントやスペルミスさえ発見された。最終的にPKWARE社は裁判に敗訴し、これによりカッツはプログラムを強制的に変更させられた。 カッツはPKARCを市場から引き下げて代わりにPKPAKを公開したが、これはPKARCと類似したソフトであった。カッツを応援していたBBSコミュニティーのメンバー達は、実際にはSEA社もPKWARE社も共に社員が5人かそれ以下の家族経営の企業であったにも関わらず、大企業が無名の企業を潰したかのように考えた。 当時、SEAの創設者であるトム・ヘンダーソンと会話したBBSコミュニティーのユーザの一人は、PKARCが同社の著作権と商標を流用したとしても「気にしなかった」と述べたと言われている。彼らはファイルの圧縮解凍が最も速いソフトウェアを利用したかっただけであった。 この事件の顛末は大きな論議となったが、この件についてカッツ自身が発言することは最後まで無かった。
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