NKBへの加入と離脱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/01 03:30 UTC 版)
「ニュージャパンキックボクシング連盟」の記事における「NKBへの加入と離脱」の解説
2001年、当NJKF、日本キックボクシング連盟、キック・ユニオン(K-U)、アジア太平洋キックボクシング連盟(APKF)が、緩い形の連合を構成、すなわち、それぞれの団体は維持したまま、王座とランキングを統一し、かつ興行に互いの選手が出場しあい、相互交流をしていくことを決定した。4団体の上部に位置する新組織を日本キックボクシング(NKB)と名づけた。これはサムライTVがバックにあった企画であり、上記4団体のうち盛り上がっていなかった3団体(特に日本キック連盟)をテコ入れするための案であった。NJKFは当時から十分メジャーであり、人気選手も多くいたが、あえてこの企画に参加した。NKBの事務作業はNJKFにより担われた。 2001年12月までに王座決定トーナメントは終了し、以降は常設王座としてタイトル戦が行われた。 しかし2004年12月に、NJKFは離脱を決定した。 2005年1月22日に行われた「INFINITE CHALLENGE I 〜無限の挑戦〜」で、NJKFの理事長だった藤田真は、第6試合終了後にリングに上がり、「方向性の違い」を理由にNKBを離脱したことを発表。その後、信用のある団体なら国の内外を問わず交流したいということや、ファンに対して希望するマッチメイクがあれば声を寄せてほしいことを伝えた。
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