K-1 WORLD MAX優勝
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「ジョルジオ・ペトロシアン」の記事における「K-1 WORLD MAX優勝」の解説
2009年4月21日、日本での初試合となったK-1 WORLD MAX 2009 FINAL16のトーナメント1回戦でジャバル"チンギスハン"アスケロフと対戦し、一度のクリーンヒットも貰わず3Rに左膝蹴りでKO勝ちを収め準々決勝に進出した。 2009年7月13日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL8の準々決勝でアルバート・クラウスと対戦し、判定勝ちを収め準決勝に進出した。 2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALの準決勝で山本優弥を相手に、1R左ストレートからの右フックでKO勝ち。なおこの試合で右手甲を骨折するもドクターストップを回避するために隠していたと後に判明。骨折した状態での決勝ではアンディ・サワーと対戦。前回の対戦と違い、自ら前に攻めるスタイルで戦い、2Rに左ストレートからの左膝蹴りでダウンを奪い、判定勝ちを収め、K-1 WORLD MAX初優勝を果たすとともにDynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜での魔裟斗引退試合の相手に決定した。しかし大会翌日の精密検査で右拳(右第二中手骨骨間部)を骨折していると診断を受け、魔裟斗との対戦は実現しなかった。 2010年3月13日、イタリアで開催されたIT'S SHOWTIME OKTAGONで最強のタイ人と言われていたケム・シッソーンピーノーンと対戦。1R中盤に右ストレートを被弾したのみで、離れた間合いからのミドルキックや相手の蹴り終わりを狙ったローキック、さらには蹴り足を掴んでの攻撃などムエタイ的な攻防でもペトロシアンが圧倒し、判定勝ち。後日、試合前から練習中に右手甲の骨折が再発していたことが判明した。 2010年3月27日にK-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg Japan Tournament〜で佐藤嘉洋との対戦と、5月29日にIt's Showtimeでニキー・ホルツケンとの対戦が予定されていたが、右手甲の骨折のためこの2試合を欠場した。
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