ヨハンナ・エリーザベト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/27 08:36 UTC 版)
ヨハンナ・エリーザベト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ Johanna Elisabeth von Schleswig-Holstein-Gottorf |
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ヨハンナ・エリーザベト、アントワーヌ・ペーヌ画、1746年頃
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出生 | 1712年10月24日 |
死去 | 1760年5月30日(47歳没)![]() |
配偶者 | アンハルト=ツェルプスト侯クリスティアン・アウグスト |
子女 | ゾフィー・アウグステ・フリーデリケ(エカチェリーナ2世) ヴィルヘルム・クリスティアン・フリードリヒ フリードリヒ・アウグスト アウグステ・クリスティーネ・シャルロッテ エリーザベト・ウルリケ |
家名 | ホルシュタイン=ゴットルプ家 |
父親 | クリスティアン・アウグスト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ |
母親 | アルベルティーナ・フリーデリケ・フォン・バーデン=ドゥルラハ |

ヨハンナ・エリーザベト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ(ドイツ語:Johanna Elisabeth von Schleswig-Holstein-Gottorf, 1712年10月24日 - 1760年5月30日)は、アンハルト=ツェルプスト侯クリスティアン・アウグストの妃。ロシア女帝エカチェリーナ2世の母親として知られる。
生涯
ヨハンナはホルシュタイン=ゴットルプ家の公子でリューベック領主司教のクリスティアン・アウグストと、その妻でバーデン=ドゥルラハ辺境伯フリードリヒ7世マグヌスの娘であるアルベルティーナ・フリーデリケの娘として生まれた。子沢山の両親は娘の1人や2人が手許にいなくとも構わなかったので、ヨハンナは子供のないブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公アウグスト・ヴィルヘルムとその妻エリーザベト・ゾフィア・マリーの元に引き取られた。アウグスト・ヴィルヘルムの先妻がヨハンナの伯母だった縁であった。
養母は15歳になったヨハンナに結婚相手を用意し、持参金も出してやった。ヨハンナは1727年、プロイセン王フリードリヒ2世に軍人として仕えるアンハルト=ツェルプスト侯子クリスティアン・アウグストと結婚した。結婚後、ヨハンナは夫の赴任地であるポンメルン地方のシュテッティンに移った。22歳も年の離れた夫との関係は父娘同然だった。
シュテッティンでの中年の夫との生活は退屈なものだった。アンハルト=ツェルプスト家の家長ヨハン・アウグストには子供が無く、夫の兄ヨハン・ルートヴィヒは未婚だった。これはヨハンナがもし男子を産めば、夫と自分はアンハルト=ツェルプスト侯の相続人として飛躍的に重要な地位を獲得し、シュテッティンでの軍人の妻の生活から脱出できることを意味した。ヨハンナにとって子供を産むことは、デンマーク・ノルウェー王フレデリク3世の曾孫という高貴な生まれの自分が、低い身分の男と結婚して地味な境遇に落ち込んでいる状態から抜け出すという政略的な目的と結びついていた。
ヨハンナは最初、長女のゾフィーを自分の弟ゲオルク・ルートヴィヒと結婚させようとしていたが、次兄のアドルフ・フリードリヒがスウェーデン王に選ばれると、ヨハンナは娘にさらなる良縁を望むようになった。期待通り、ゾフィーはロシアのエリザヴェータ女帝の甥で、後継者のピョートル(ピョートル3世)の花嫁に選ばれた。ピョートルはヨハンナの同族の従甥に当たり、ヨハンナの長兄カール・アウグストはエリザヴェータの婚約者だった。ゾフィーは正教に改宗し、洗礼名もエカチェリーナ・アレクセーエヴナに変えた。ヨハンナは娘と一緒にロシア宮廷入りしたが、野心的な振る舞いが災いしてエリザヴェータ女帝にロシアから追い出された。そしてエカチェリーナの結婚後はロシアに入国することも禁じられ、文通も許されなくなった。
ヨハンナは1747年に夫を亡くし、1752年に息子フリードリヒ・アウグストが成年に達するまでアンハルト=ツェルプスト侯領の摂政を務めた。その後はパリに移り、1760年に同市で没した。
子女
夫との間に5人の子女をもうけた。
- ゾフィー・アウグステ・フリーデリケ(1729年 - 1796年) - ロシア皇帝ピョートル3世と結婚、後にロシア女帝エカチェリーナ2世
- ヴィルヘルム・クリスティアン・フリードリヒ(1730年 - 1742年)
- フリードリヒ・アウグスト(1734年 - 1793年)
- アウグステ・クリスティーネ・シャルロッテ(1736年)
- エリーザベト・ウルリケ(1742年 - 1745年)
「Joanna Elisabeth of Holstein-Gottorp」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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