ジャン・ド・ノートルダム
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/23 07:39 UTC 版)
ジャン・ド・ノートルダム(Jean de Nostredame、1522年? - 1577年頃)は、フランスの法曹家、歴史家。ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)の弟のひとり。プロヴァンス史(特に文学史)の研究を行い、『古プロヴァンスの最も名高い詩人たちの生涯』(Les vies des plus célèbres et anciens poètes provensaux)を刊行した。
生涯
少年期・青年期についての詳しいことは分かっていない。1543年から1555年にはエクス=アン=プロヴァンスで公証人として活動し、その頃からエクスの高等法院検事(procureur)を長くつとめた。兄ミシェルの著書『化粧品とジャム論』(1555年)には、「エクスの検事」であるジャンに宛てた献辞が収録されている。
ジャンは本業の傍らでプロヴァンス史研究を行っており、その成果の一部は『古プロヴァンスの最も名高い詩人たちの生涯』(リヨン、1575年)として刊行された。この文献は、渡辺一夫も『フランス・ルネサンスの人々』の中で高く評価していたものである。
同じ年には同じ版元からイタリア語版も出され、そちらは1702年と1722年に再版されている。フランス語版は1913年に増補の上で復刻されており、1971年にはオリジナルの復刻版も出された。なお、1913年版はガリカにリストアップされているものの、2006年2月現在では公開されていない。
ほか、800ページ近くに及ぶプロヴァンス史研究の草稿がエクスの市立図書館に現存している[1]。これは生前刊行されることはなかったが、甥のセザール・ド・ノートルダムがこの研究を引き継ぎ、『プロヴァンスの歴史と年代記』として出版している。
かつては1590年没とされていた。これはピトン『エクス市の歴史』(1666年)に基づくもので、多くの論者に引用されていたが、現在では否定されている。甥のセザールや同時代の知人の証言、さらには1577年2月の段階で故人扱いしている公文書などの存在により、1576年末から1577年始めに没したと推測されている[2]。
なお、ジャンの死から40年以上あとにあたる1618年にパリとリヨンで相次いで出版された匿名のパンフレット『今年1618年に見られた驚異と徴の予言』(Les Prédictions des signes et prodiges qu'on a vus cette présente année 1618.)も、ジャンの著作とされたことがある。これは、ジャンが用いていた「プロヴァンスの紳士」(le M. Provençal)という変名が記載されているからという薄弱な根拠によるもので、現在では不適切な推測とされている[3]。
生年について
ジャンはかつて1507年にサン=レミ=ド=プロヴァンスで生まれたとされていた。ただし、これは古い文献で示されていた出典の不明な記述である。エドガール・ルロワは洗礼記録が1522年2月19日であることから、実際の生年を1522年とした[4]。ジャンに関する研究で博士号を取得したカザノヴァ(J.Y.Casanova)のように、これを支持するものもいる[5]。
他方でルロワの伝記改訂版の編者(名前未詳)は、伝聞通り1507年ころを正しい生年とし、ノストラダムスの弟には本項で扱っているジャンとは別に、1522年に生まれ1534年以前に没したもう一人のジャンがいたとする見解を示している[6]。中にはラメジャラー『ノストラダムス百科全書』のように、同一著書中で1507年説と1522年説が混在しているケースもある[7]。
他のジャン・ド・ノートルダム
ノストラダムスの一族には、「ジャン・ド・ノートルダム」という名の人物が複数いた。しかし、この項目で扱ったジャン以外に目立った業績を残した者はいない。参考までに他のジャン・ド・ノートルダムを掲げる(ノストラダムス関連人物の一覧も参照のこと)。
- ノストラダムスの弟ベルトランの息子の一人。
- ノストラダムスの弟アントワーヌの息子の一人。
脚注
- ^ Chomarat [1973]
- ^ Leroy [1993] p.viii, pp.41-42.
- ^ Benazra [1990] p.181
- ^ Leroy [1993] pp.32 & 39
- ^ Gayrard [2001] p.19
- ^ Leroy [1993] pp.vii-viii.
- ^ ラメジャラー[1998]p.317と表紙裏
参考文献
- ピーター・ラメジャラー [1998]『ノストラダムス百科全書』東洋書林
- Robert Benazra [1990], Répertoire chronologique nostradamique(1545-1989), Guy Tredaniel
- Michel Chomarat [1973], Bibliographie lyonnaise des Nostradamus, Centre culturel de Buenc
- Pierre Gayrard [2001], Un dragon provençal, Actes Sud
- Edgar Leroy [1993], Nostradamus: ses origines, sa vie, son oeuvre, Jeanne Laffitte (réimpr. de 1972)
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「Jean de Nostredame」の例文・使い方・用例・文例
- Patio初の主要な建設プロジェクトはGolden Bayを見下ろす20戸の分譲マンションになるだろう。
- Jeb Andersonは現在シドニーにいる。
- 第2段落3行目のclueは、ideaの意味に最も近いです。
- 6 月4 日―Mertonスタジアムの取り壊しに伴い、6 月15 日から3 週間に渡り、Central通りとMerton通りの間と、9 番通りと11 番通りの間の全区域が通行止めになると、Bordertown交通局(BTA)が火曜日に発表した。
- あなたの請求が確定し次第App Codeをメールで送信いたします。
- Mozilla Foundationは5月1日、メール/ニュースクライアントソフトの最新版「Thunderbird 2.0.0.14」をリリースした。
- (父殺し), insecticide (殺虫剤).
- 混合様式 《古代ローマ建築の様式で, イオニア様式 (Ionic order) とコリント様式 (Corinthian order) の折衷様式》.
- 条件節 《通例 if, unless, provided などによって導かれる》.
- 《主に英国で用いられる》 = 《主に米国で用いられる》 special delivery 速達.
- >called, called; talk>talked, talked; mend>mended, mended.
- 愛称, 親愛語 《darling, dear, sweetie, honey などの呼び掛けの類》.
- 住宅団地 (《主に米国で用いられる》 housing development).
- カ氏 32 度 《thirty‐two degrees Fahrenheit と読む》.
- を deceit と韻を踏ませる.
- 王立植物園 《the Kew Gardens のこと》.
- 王立オペラ劇場 《the Covent Garden Theatre のこと》.
- make の過去形は made である.
- radar や deified のように左から読んでも右から読んでも同じな言葉がある.
- “Pride goes before a fall”はどういう意味か
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