Javaアプリの登場と3Dゲームの登場 (2001年)
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「携帯電話ゲーム」の記事における「Javaアプリの登場と3Dゲームの登場 (2001年)」の解説
2001年、各通信会社がJavaアプリプラットフォームを提供し、Javaアプリによる携帯電話ゲームが登場した。同年1月26日、NTTドコモは「iアプリ」サービスを開始し、同年6月22日、J-PHONEは「Javaアプリ (現:S!アプリ)」サービスを開始し、同年7月4日、au (現:KDDI・沖縄セルラー電話)は 「ezplus (現:EZアプリ (Java))」サービスを開始した。 iモード向けにゲームを配信していたハドソンも503iシリーズの発売にあわせてiアプリ対応コンテンツサービスを開始した。 同年、スパイシーソフトはアプリ流通サイトの「アプリ★ゲット」を開始し、その後、スパイシーソフトとベクターは合弁会社のスパイシー・ベクターを設立してその事業を移管した。スパイシー・ベクターはInfoseekやYahoo!などの大手ポータルサイトと提携を行った。 同年3月、エイチアイは3DミドルウェアのMascotCapsuleの提供を開始し、携帯電話に採用されていった。MascotCapsuleは「リッジレーサー」のモバイル版 (ナムコ) や『電車でGO! 3D』(タイトー)などの初期の3D携帯電話ゲームに使われた。また、2002年には、MascotCapsuleの対抗として三菱電機のZ3Dグラフィックスエンジンが登場し、それに向けて『どこでもチョコボ』 (スクウェア)や『サイキックフォース~EPISODE ONE~』 (タイトー)などのゲームが登場した。
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