IRA暫定派による暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:05 UTC 版)
「ルイス・マウントバッテン」の記事における「IRA暫定派による暗殺」の解説
1979年8月27日に、休暇中のアイルランド北西部のドネゴール湾において、ヨットで出航直後、IRA暫定派の仕掛けた爆弾が爆発し、孫たちと共に死亡した。79歳没。 実行犯は終身刑となった。生存者の証言によると爆弾はエンジンに仕掛けられており、操船していたマウントバッテンは即死状態だった。マウントバッテンは「私のような年寄りに何をするというのかね?」とIRA暫定派からの攻撃が自分らには及ぶまいと高を括っていたのか、大した護衛もつけていなかったという。 なお、このマウントバッテンの死に最もショックを受けたのが、幼少時から慕っていた上に、当時イギリス海軍士官であったチャールズ王太子だった。マウントバッテンの死の翌年に知り合い、生前のマウントバッテンの事について語り合った相手がダイアナ・スペンサーで、2人はその翌年の1981年に結婚している(1996年離婚、1997年ダイアナ妃は交通事故により死亡、2005年チャールズ王太子はカミラ・シャンドと再婚)。 葬儀にはオランダやベルギー、デンマークなど、第二次世界大戦でともに戦ったヨーロッパ諸国の王族や、ビルマ、インド、米国、フランス、カナダの代表者が参加したが、本人の遺言により、かつて戦った日本人への招待はなかった。
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