F4F-7
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/01 14:21 UTC 版)
1941年12月31日、アメリカ海軍はF4F-7を初飛行させた。これは偵察機として武装、防弾キャノピー、座席背部装甲板を排除して徹底的な軽量化を実行し、それで浮いた重量を燃料の増加に当て(そのため総重量は戦闘機型よりも大きい)、航続距離3700マイル、最大滞空時間25時間という数値を目指したものである。偵察用カメラを搭載し、いざというときには燃料を投棄して身軽になることも可能であった。 21機作られ、残りの発注は普通の戦闘機型として生産された。ガダルカナル方面で2機使用されたとも言われるが定かではない。
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F4F-7
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偵察機型。P&W製R-1830-86エンジンを搭載。徹底した軽量化により燃料搭載量が増加。21機程度の生産とされる。
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