Dタイプの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 01:57 UTC 版)
「ジャガー・Dタイプ」の記事における「Dタイプの歴史」の解説
1954年 - 発表。ル・マン24時間レースに参戦するもトラブルでリタイア。ただしユーノディエール・ストレートでの最高速を記録し、戦闘力の高さを印象付けた。 1955年 - 構造的な変更を受ける。ボディ前半部は重量と剛性の問題より、マグネシウム合金からニッケル合金になった。また、レースでの空力特性を意識してフロントオーバーハングを若干延長したロングノーズタイプが作成された。テール部のフィンの形状も見直された。エンジンもヘッド、給排気マニフォールドに変更を受け、出力が向上し、この年のル・マン24時間レースにて優勝した。 1956年 - エンジンがルーカス製インジェクションを備えたものに変更された。足回りにアンチロールバーが追加されたり、ボディーが軽量化されたりと、さらに戦闘力を引き上げる変更が行われ、ル・マン24時間レースに連勝した。またこの年の暮れにXKSSの生産が開始された。 1957年 - コヴェントリー工場を襲った火事により、生産中のDタイプ、XKSSとともに治具がすべて焼失。生産続行不可能となり、生産が終了した。しかしル・マン24時間レースへの出場は果たし、3年連続優勝を手中にした。
※この「Dタイプの歴史」の解説は、「ジャガー・Dタイプ」の解説の一部です。
「Dタイプの歴史」を含む「ジャガー・Dタイプ」の記事については、「ジャガー・Dタイプ」の概要を参照ください。
- Dタイプの歴史のページへのリンク