CS&N、CSN&Y
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 00:41 UTC 版)
「スティーヴン・スティルス」の記事における「CS&N、CSN&Y」の解説
詳細は「クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング」を参照 バッファロー・スプリングフィールドの崩壊が決定的になった際に、スティルスはキャス・エリオットの手引きにより、ジョニ・ミッチェルの家で元バーズのデヴィッド・クロスビー、元ホリーズのグラハム・ナッシュに会う。スティルス作の「泣くことはないよ」を3人で歌ったことがきっかけで新グループ結成を決め、各自のファミリー・ネームを並べたクロスビー、スティルス&ナッシュがスタートした。 1969年5月、デビュー・アルバムを発表。3人にダラス・テイラー(ドラムス)を加えた4人で主に制作されたが、ドラムス以外の楽器はほとんどスティルスの手によって演奏された。まもなくニール・ヤングが加わり、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングに名を変えてセカンド・アルバム『デジャ・ヴ』を発表。スティルスとヤングの確執によりその後長きにわたって解散と(時には3人、時には4人で)再結成を繰り返した。 スティルスは、モントレー・ポップ・フェスティバルにはバッファロー・スプリングフィールドとして、ウッドストック・フェスティバル、オルタモント・フリー・コンサートにはCSN&Yとしてそれぞれ出演している。 1976年、スティルスとヤングは2人でデュオ名義のアルバムの制作に取り掛かる。その後、スティルスはCSN&Yの再始動を希望し、すでに完成したトラックにクロスビーとナッシュのコーラスが録音されたが、結局レコード会社との契約やその後予定されていたツアーの問題からクロスビーとナッシュ2人のボーカル・トラックを消去してしまう。当時、クロスビーとナッシュもデュオアルバムの制作中であった。結局、スティルス・ヤング・バンド名義で Long May You Run としてリリースした。続くツアーはヤングが喉の感染症にかかり途中で離脱。契約上、スティルスはヤング抜きでツアーを続行した。 1977年、スティルスは、クロスビー、ナッシュとCS&Nの形で再結成。アルバム『CSN』(CSN) をリリースした。 1997年、CS&Nとバッファロー・スプリングフィールドが同時にロックの殿堂入りを果たし、スティルスは一度に2回殿堂入りした最初の人物となった。これを記念してフェンダーは、ネックプレートに記念文を彫り込んだテレキャスターを製作し、スティルスに贈った。
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