B-30およびBr-2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 03:37 UTC 版)
「Br-2 152mmカノン砲」の記事における「B-30およびBr-2」の解説
1930年代の初期、砲兵総局は「三つ揃いの重砲」の開発を指示した。これらは同一の走行装置を用い、152mm砲、203mm野砲、そして280mm迫撃砲から構成された。開発はボルシェビキ工場とスターリングラードのBarrikady工場に委任された。152mm砲の計画はB-30と呼ばれた。しばしばこれはB-10-2-30と呼ばれる。またBarrikady工場での計画はBr-2と呼ばれた。これらは両方とも弾道的にB-10のそれと等しい砲身を用い、これにB-4 203mm榴弾砲の装軌式走行装置を装備した。 1936年の後半、ボルシェビキ工場は6門からなる一連の試作砲を作り出した。より長砲身である55口径砲身が数種類、そしてより深い施条を持つ数種類の砲身が生産された。このB-30砲身はまた、施条済みの砲弾の使用や、「アンサルド・システム」と呼ばれる様々な深さの施条の試験に用いられた。これらは最終的に不成功に終わった実験であった。 競作となった設計は大部分が同一だったが、Br-2は異なる砲身構造を持っていた。積層型砲身に対し、柔軟な内張構造を持つ。またわずかに異なるブリーチブロックと、そして砲身の釣り合いを取る平衡装置の装備があげられる。 B-30が好評価を得た試験結果にもかかわらず、砲兵総局はBr-2の採用を決定した。決断の理由は明らかではない。しかしながら量産部品に関し、砲身を内筒自由交換式へ切り替えることが決定された。それにより、この砲はB-30にやや類似することとなった。
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