AIの冬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 08:13 UTC 版)
「AIの冬(英語版)」という言葉は1974年の資金供給停止を生き延びた研究者らが作った用語であり、彼らはエキスパートシステムへの熱狂が制御不能となってその後に失望が続くのではないかと心配した。彼らの心配は現実となり、80年代から90年代初めにかけてAI研究は再び資金難に陥った。 最初の兆候は、1987年にAI専用ハードウェアの市場が突然崩壊したことだった。AppleやIBMのデスクトップコンピュータは徐々に性能が向上し、1987年にはシンボリックスなどが生産する高価なLISPマシンを性能的に凌駕するようになった。LISPマシンを購入する理由がなくなり、5億ドルの市場が一瞬で消え去った。 また、XCONなどの成功を収めた初期のエキスパートシステムは、維持コストが非常に高くつくことが判明した。更新が難しく学習機能もなく、入力が間違っているととんでもない答を返してくるという問題もあり、数年前に明らかとなっていた条件付与問題(英語版)の餌食となった。エキスパートシステムは確かに有効だったが、それはごく限られた状況でのみだった。 80年代末、Strategic Computing InitiativeがAI研究への資金供給をカットした。新たなリーダーを迎えたDARPAはAIが「次の波」ではないと判断し、直近の成果が期待できるプロジェクトに資金を供給することにした。 1991年、第五世代コンピュータプロジェクトも当初掲げた様々な目標を達成することなく完了した。なお、人間と目的もなく普通に会話するなどの目標は2010年ごろまで達成されなかった。他のAIプロジェクトと同様、予測は実際に可能だったものよりずっと高く設定されていた。
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