4度目の創設(1241年 - 1397年)
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「ブロワ伯」の記事における「4度目の創設(1241年 - 1397年)」の解説
シャティヨン家が保持 肖像名前在位他の称号説明 ジャン1世・ド・シャティヨン(1279年没) 1241年 - 1279年 シャルトル伯シャトーダン伯アヴェーヌ領主ギーズ領主 マリーとユーグ1世の息子。ブロワ伯、デュノワ伯およびシャルトル伯、アヴェーヌおよびギーズ領主となった。 ジャンヌ・ド・シャティヨン(1253年頃 - 1292年1月29日) 1279年 - 1292年 シャルトル女伯シャトーダン女伯ギーズ領主 ジャン1世とアリックス・ド・ブルターニュの娘。ジャンヌはシャルトル伯領をフランス王フィリップ4世に売却し、その数年後に死去した。ジャンヌの領地は従兄弟ユーグ2世が継承した。 ユーグ2世・ド・シャティヨン(英語版)(1258年4月9日 - 1307年) 1292年 - 1307年 シャトーダン伯 ブロワ女伯マリーの息子サン=ポル伯ギー3世の息子。1292年にブロワ伯領を手に入れるまでに、サン=ポル伯領を放棄した。 ギー1世・ド・シャティヨン(英語版)(1298年 - 1342年) 1307年 - 1342年 シャトーダン伯フレトゥヴァル領主シャトー=ルノー領主 ユーグ2世とベアトリス・ド・ダンピエールの息子。1337年に勃発した百年戦争の始まりに義兄フィリップ6世とともに重要な役割を果たした。 ルイ1世・ド・シャティヨン(英語版)(1320年 - 1346年) 1342年 - 1346年 シャトーダン伯フレトゥヴァル領主 ギー1世とマルグリット・ド・ヴァロワの息子。ブロワ伯領およびデュノワ伯領を継承したが、クレシーの戦いで戦死した。 ルイ2世・ド・シャティヨン(英語版)(1340年以前 - 1372年) 1346年 - 1372年 シャトーダン伯ソワソン伯フレトゥヴァル領主 ルイ1世の息子。幼少で父の跡を継ぎ、母親が始めの数年間、摂政となった。嗣子なく死去し、遺言に従いブロワとアヴェーヌは弟ジャンが継承した。 ジャン2世・ド・シャティヨン(英語版)(1340年 - 1381年) 1372年 - 1381年 シャトーダン伯ソワソン伯フレトゥヴァル領主 ルイ2世の弟。第1次ゲルデルン継承戦争に敗北した後、嗣子なく死去した。 ギー2世・ド・シャティヨン(英語版)(1346年 - 1397年12月22日) 1381年 - 1397年 シャトーダン伯フレトゥヴァル領主 ルイ2世およびジャン2世の弟。父の死から2ヵ月後に生まれた。兄ジャン2世および他のすべての親族からブロワ、シャトーダン、ソワソンおよびダヴェーヌの伯領を相続した。1360年まで、ブレティニー条約の結果としてイングランドに囚われており、解放のためにソワソン伯領を手放した。1374年、マリ・ド・ナミュールと結婚し、1男ルイ3世をもうけたが、ルイ3世は1391年に早世した。そこで、ブロワ=シャティヨン家には近親の継承者がいたにも関わらず、ギー2世は自身の持つ称号をルイ1世・ドルレアンに譲る決心をした。1391年から死まで、用益権をもつブロワ伯であり続けた。
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