4回目の侵攻とは? わかりやすく解説

4回目の侵攻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:27 UTC 版)

清緬戦争」の記事における「4回目の侵攻」の解説

1769年清国軍は6軍勢三つ分けミャンマー再度攻め込んだ第一軍イラワディ川西岸南下し第二軍東岸南下する第三軍バーモ襲撃させようとした。だがイラワディ川南下していた部隊ミャンマー軍接近している事を知ると南下止めバーモ攻略部隊合流しバーモ占領した。さらに清国軍はバーモとカウントンの中間堅牢な城砦を築かせて、一部隊を駐屯させ、残り部隊のうちの第一軍は何百席もの船にのりこんで、川からカウントンを砲撃した第二軍はカウントンを陸路から攻撃した。シンビューシンはアヴァから艦隊送り出し清国軍の舟艇攻撃させた。この艦隊清国軍の舟艇多数撃沈し、川からの砲撃鎮静化して勝利をおさめた。さらにミャンマー軍はカウントンとアヴァ中間にある清国軍の城砦攻撃加え、これを攻め落とした。こうして、陸上からカウントンを攻めていた清国軍は包囲されるとなってしまった。ここで、清国軍の将軍皇帝から、「ミャンマー軍との戦争終結する事にした。ただちに雲南撤退すべし」との緊急命令届けられた。この命令従い清国軍からミャンマー側へ講和使者送られた。ミャンマー軍将兵の間では申し入れ一蹴しろという意見多数だったが、ミャンマーの軍の将軍マハティハトゥラ(英語版)は「ここで和平を結ばなければ清国はまた攻め込んでくる」とし、王であるシンビューシンの許可得ず独断和平結んでしまった。

※この「4回目の侵攻」の解説は、「清緬戦争」の解説の一部です。
「4回目の侵攻」を含む「清緬戦争」の記事については、「清緬戦争」の概要を参照ください。

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