3.1 万歳運動と臨時政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/29 17:03 UTC 版)
「金秉祚」の記事における「3.1 万歳運動と臨時政府」の解説
1919年2月に劉如大など長老教人士とともに宣川の梁甸伯牧師宅を訪問して李昇薫に会い、この席で三・一運動計画を聞いた。京城府で天道教指導者と合議して来た李昇薫の勧誘で、金兵曹と劉如大、李明龍と梁甸伯はその席で民族代表33人で運動参加を決めた。道場を李明龍に任せて当日泰和館での己未独立宣言書朗読集会には参加せず、平北地域の万歳運動を組織した。 33人中唯一に逮捕されずに上海市に亡命し、大韓民国臨時政府に合流、臨時議政院平安道地方区代表と宣伝委員会理事(1920年) などを務めた。臨時政府史料編纂委員であり、独立運動資料の収集と編纂に関心を置いて1924年に《大同歴史》・《独立血史》を発刊した。
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