3つのイディッシュ文化研究所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 03:26 UTC 版)
「マックス・ヴァインライヒ」の記事における「3つのイディッシュ文化研究所」の解説
ポーランド・リトアニア地域においては、1920年代になり、イディッシュ語・イディッシュ文化全般の研究に従事するための機関が3つ設けられた。その3つとは、ウクライナのキエフのウクライナ科学アカデミー(Ukrainian Academy of Sciences)のユダヤ教徒部門、ミンスクのベラルーシ科学アカデミー(Belorussian Academy of Sciences)のユダヤ教徒部門、そしてもっとも有名なものが、ヴィルナのイディッシュ科学研究所であった。 これらの機関は、イディッシュ語言語学に関して言えば、言語調査と資料の収集、そして言語地図作成、辞書編集、研究誌の発行を行った。しかし、現在も機能しているのは YIVO のみである。 1930年代後期から1940年代初めの西欧では、イディッシュ以後・文化研究はされなくなってしまった。1940年、YIVOのニューヨーク移転と共に、イディッシュ文化の研究は逆にアメリカ合衆国となった(そして、ヨーロッパに残ったユダヤ教徒は虐殺され、イディッシュ文化も壊滅していく)。 マックス・ヴァインライヒは、「言語」と「方言」に境界線を引くための指標としてしばしば引用される警句、「言語とは、陸軍と海軍を持つ方言のことである」("אַ שפּראַך איז אַ דיאַלעקט מיט אַן אַרמיי און פֿלאָט" "a shprakh iz a dialekt mit an armey un flot")の作者としてよく引用されるが、実際はフランスのユベール・リョテ(Hubert Lyautey)元帥のものともされる。
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