2016年オーストリア大統領選挙
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「ノルベルト・ホーファー」の記事における「2016年オーストリア大統領選挙」の解説
2016年1月28日、FPÖはホーファーを大統領選挙の候補者に選出した。4月24日に実施された第1回投票でホーファーは勝利を収める。「オーストリア第一」を掲げたホーファーは、第1回投票では35.1%という最も高い得票率を得て決選投票へ進んだ。この結果はFPÖにとって1956年の結党以来、最大の成果であった。ホーファーは欧州難民危機によって、90,000人がオーストリアに難民申請を行い、国の資源と人々に負担をかけていると主張した。 西欧各国の右翼政党・政治家はホーファーの第1位通過を祝福した。フランス国民戦線のマリーヌ・ル・ペンやドイツのための選択肢(AfD)のフラウケ・ペトリー、オランダ自由党のヘルト・ウィルダース、北部同盟のマッテオ・サルヴェーニ(イタリア語版)らが主だった人物である。 2016年5月22日の決選投票において、ファン・デア・ベレンの50.3%に対して、ホーファーは49.7%の票を獲得した。ところがファン・デア・ベレンが大統領職に就く前の7月1日、オーストリア憲法裁判所が決選投票の結果を無効とし、選挙のやり直しを要求する。7月8日、現職のハインツ・フィッシャー大統領が任期切れにより退任し、オーストリア社会民主党のドリス・ビュレ(ドイツ語版)(フランス系)、オーストリア国民党のカールハインツ・コプフ(ドイツ語版)、そしてホーファーの3人により、選挙が決着するまでの大統領職の共同代行が始まった。12月4日、決選投票の再投票が行われたが、ホーファーは前回の決選投票より得票数を落として落選した。
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