2013-2017年:ブリヂストン・アンカー時代
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「ダミアン・モニエ」の記事における「2013-2017年:ブリヂストン・アンカー時代」の解説
2013年、日本のUCIコンチネンタルチームであるチームブリヂストン・アンカーに加入し、プロとしてのキャリアを継続した。春は、ツアー・オブ・アゼルバイジャンでは総合4位、ツアー・オブ・ジャパンでは総合3位となった。夏は、ツール・ド・グアドループでは総合6位、ツール・ド・北海道ではチームメイトのトマ・ルバに次ぐ総合2位となった。 2014年、ツール・ド・コンスタンティンの第3ステージで優勝を果たし、2010年のジロ・デ・イタリア第17ステージに続く、(UCIのレースでは)プロ2勝目を挙げた。8月のツール・ド・グアドループでは、いくつかのステージでリーダージャージを着用して総合2位でゴールした。 2015年、2月のツール・ド・フィリピーナスでは、第3ステージを終えた時点では総合8位だったものの、最終第4ステージの最後の登りでは、ライバルとの差を縮めて7位でゴールし総合3位でレースを終えた。5月の、ツアー・オブ・ジャパンでは総合8位、ツール・ド・熊野では総合3位でゴールし表彰台に上った。6月のツール・ド・コリアでは総合10位。夏のツール・ド・グアドループでは、プロローグ(エキシビジョンのチームタイムトライアル)で優勝し、第1ステージでは黄色いリーダージャージを着用した。10月にはツアー・オブ・シンカラに参加し、第8ステージで9位に入り、総合13位。シーズン終盤には、ツール・ド・おきなわで優勝したジェイソン・クリスティからに16秒遅れの4位に入り、台湾で開催された100kmにも及ぶヒルクライムレースである台湾キング・オブ・マウンテン(KOM)チャレンジで優勝した。 2016年、再びツール・ド・グアドループで活躍。1週目は、リーダージャージを着るチームメイトであるトマ・ルバのアシストとして4日間レースをリードした。最終日前日の第8ステージ(レザビームの町を巡る20kmの個人タイムトライアル)を制し、イエロージャージを着るホセ・チャコンに52秒差をの総合5位につけた。最終日には、ステージ序盤でアタックしてチャコンに1分以上の差をつけた。この攻撃的な戦略により、この第66回ツール・ド・グアドループで総合優勝を果たした。 2017年、シーズン序盤に、ツール・ド・フィリピーナスの第4ステージで4位、ツアー・オブ・ジャパンの伊豆ステージで5位に入った。6月のツール・ド・熊野では第3ステージで優勝し、ツール・ド・・コリアでは総合5位入賞を果たした。夏には、ツール・ド・グアドループに参加したが、総合優勝したセバスティアン・フォーネ=ファヤールから30分以上遅れて総合30位にとどまった。
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