2代目クリニカ・モバイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/15 01:46 UTC 版)
「クリニカ・モバイル」の記事における「2代目クリニカ・モバイル」の解説
1981年にはイタリアのモーターサイクル連盟の援助により、より大きくなり、設備も充実した2代目クリニカ・モバイルが完成した。1981年から1987年の間、毎年延べ300人ものライダーがレースアクシデントで負った怪我の治療を受けることになった。 1982年4月、イモラでおこなわれた200マイル耐久レースでクラッシュし、一時心肺停止状態に陥ったグラツィアーノ・ロッシの命を救う。この日母親に連れられてパドックを訪れていた息子のバレンティーノ(当時3歳)も十数年後グランプリにデビューし、何度もクリニカ・モバイルの世話になることになる。
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