グラツィアーノ・ロッシとは? わかりやすく解説

グラツィアーノ・ロッシ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 07:21 UTC 版)

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グラツィアーノ・ロッシ
グランプリでの経歴
国籍 イタリア
活動期間 1978年 - 1982年
チーム モルビデリスズキ
レース数 22
優勝回数 3
表彰台回数 7
通算獲得ポイント 114
ポールポジション回数 1
ファステストラップ回数 0
初グランプリ 1978年 500cc フランスGP
初勝利 1979年 250cc ユーゴスラビアGP
最終勝利 1979年 250cc スウェーデンGP
最終グランプリ 1982年 500cc サンマリノGP
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グラツィアーノ・ロッシ (Graziano Rossi, 1954年3月14日 - ) は、イタリアペーザロ出身の元モーターサイクルロードレーサー。ロードレース世界チャンピオンであるバレンティーノ・ロッシの父。

経歴

1970年代から1980年代にかけて活躍し、同世代のイタリア人ライダーとしてはバージニオ・フェラーリマルコ・ルッキネリフランコ・ウンチーニらが挙げられる。

ロードレース世界選手権には1978年に500 ccクラスでデビュー。翌1979年にはモルビデリのワークスライダーとして250 ccクラスを戦う。この年がグラツィアーノのベストシーズンとなり、オパティヤ(ユーゴスラビアGP)、アッセンオランダGP)、カールスクーガ(スウェーデンGP)とシーズン3勝を果たし、コーク・バリントングレッグ・ハンスフォードカワサキ勢に次ぐシリーズ3位に入る。またこの年には息子のバレンティーノが誕生した。

1980年には再び500 ccクラスに戻り、ルッキネリと共にロベルト・ガリーナの「チーム・ガリーナ」でスズキ・RG500を駆ることになった。2度表彰台に立ちシリーズ5位に入るが、翌シーズン[1]は同チームに残留することは出来なかった。ガリーナとの確執があったとも言われている。その後は1982年まで500 ccクラス参戦を続けたが、結果を残すことは出来なかった。

また1982年にはヤマハを駆ってイモラで行われた200マイル耐久レース(200 miglia)に参戦するが、激しく転倒し、一時心肺停止状態に陥る。しかしクリニカ・モバイルの尽力により一命を取り留めた[2]。怪我から回復した後は2輪レースから引退し、ラリーへ転向した。

2007年にはロッシ親子が共演するヤマハのCMが日本で放映された。

ロードレース世界選手権 戦績

シーズン クラス バイク 出走 優勝 表彰台 PP ポイント 順位
1978年 500 cc スズキ 2 0 0 0 7 16位
1979年 250 cc モルビデリ 5 3 5 0 67 3位
1979年 500 cc モルビデリ 2 0 0 0 2 31位
1980年 500 cc スズキ 7 0 2 1 38 5位
1981年 500 cc スズキ 2 0 0 0 0 -
1982年 500 cc スズキ 4 0 0 0 0 -
合計 22 3 7 1 114

脚注

  1. ^ 翌1981年は、ニューマシンRGΓを駆ったルッキネリがワールドチャンピオンに輝く。
  2. ^ http://www.ducati.com/clinica_mobile/story2.html

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