1994年『平成夏休みバラエティー「ビッグ3ホールインワンチャレンジ」』
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「平成教育テレビ」の記事における「1994年『平成夏休みバラエティー「ビッグ3ホールインワンチャレンジ」』」の解説
この年からBIG3枠の司会は、亡くなった逸見に代わり川端健嗣アナが正月特番同様に担当。またこのコーナーのオープニングで川端アナに「来年はどうやって(総合司会を)逃げようかと、今から真剣に考えているたけしさんです。」と紹介されたたけしだが、結局翌年も逃げられず司会をすることになる。 ホールインワンチャレンジは、当時の河田町本社玄関前の駐車場に67.5ヤードの特設ショートホールコースを設けた。優勝商品には箪笥と着物、2位には軽トラック、3位には台車とまな板を賭け、競った。平成夏休みバラエティ内の得点として50点を賭けた「BIG3クイズ」を実施を実施するも、全員不正解で終わった。しかし、グリーン自体が、板のようなものに人工芝を貼り付けただけのため、バウンドしてしまい、なかなかホールインワンには至らず苦戦。そのため、布団状のマットが数枚設置され、最終的にはカップの穴を広げて対処した。その後、たけし、さんまがホールインワンに成功するも、タモリだけが取り残され、先にホールインワンに成功したたけしとさんまは、カップから外す度にタモリの顔に塗料を塗った。最終的にはタモリもホールインワンに成功した。 「ホールインワン対決」中、「今年はやらない」と聞かされていたさんまとは裏腹に、たけしがさんまの愛車レンジローバーをグリーン前に勝手に駐車。車外から出る際にも鍵も折られ、タモリやたけしがレンジローバーの車体に目掛けてボールが当てられ、車体が凹む目にあった。 BIG3としては、このコーナーを放送した直後の1994年8月にたけしがバイク事故を起こしたため、翌年の1995年7月の『超夢列島』放送まで約1年間休止となった。
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