1991年以降の米印軍事協力
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「日米豪印戦略対話」の記事における「1991年以降の米印軍事協力」の解説
米印軍事協力の活発化は1991年のインド経済自由化に伴い、当時米軍太平洋陸軍(英語版)の司令官(英語版)であったクロード・C・キックライター中将(Claude C. Kicklighter)によって軍事協力が提案された。更に、この協力は初期のインド中道右派連立政権の下で1990年代中頃から拡大し、そして2001年にインドは、アフガニスタン攻撃作戦を行うアメリカ合衆国のために、領域内の軍事施設を提供した。 印統一進歩同盟政権下の2005年にドナルド・ラムズフェルド米国防長官とプラナブ・ムカジー国防大臣は「米印防衛新フレームワーク」に署名したことで軍事関係での協力が増大し、防衛産業と技術の分担および「海洋安全保障協力フレームワーク」が設立された。米印は四カ国談話以前から数十回に渡る合同軍事演習を実施しており、中国への「抑止」を含む行動であると解釈された。インドの政治評論家ブラフマ・チェラニー(en:Brahma Chellaney)は、新戦略対話を日米豪印に委ねられるアジアにおける新たな「グレートゲーム」の一部であるとし、そしてインドの外交官マハラジャ・クリシュナ・ラスゴトラは、アジアの安全保障協定の形成のためにはアメリカ合衆国の努力が不足していると主張し、「アジアの世紀」ではなくむしろ「アジアのアメリカ世紀」であるとした。
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