1987年:レーガン大統領の職務遂行不能事態発生への対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 08:46 UTC 版)
「アメリカ合衆国憲法修正第25条」の記事における「1987年:レーガン大統領の職務遂行不能事態発生への対応」の解説
ハワード・ベイカーは1987年に大統領首席補佐官を引き受けるとき、前任のスタッフから、レーガンが怠惰で不適当と認識された場合に、修正第25条の発動可能性に備えるべきと忠告された。 レーガンの治世を回想するPBSのプログラム『アメリカの経験』によれば、「ベイカーの引継ぎチームがドナルド・リーガンのスタッフからその週末に伝えられたことは彼等に衝撃を与えた。レーガンは「怠慢で不適切」であり「怠惰」である。ベイカーは修正第25条を発動してその義務から解放することに備えるべきだ。」レーガンの自叙伝作者エドマンド・モリス(英: Edmund Morris)はこのプログラムで放送されたインタビューの中で、次のように述べた。「ベイカーの引継ぎチームは全員が、大統領との最初の公式会合を月曜日に開催することを決め、閣僚室のテーブルの周りに集まって、レーガンがその精神的な理解力を実際に失っていないかを判断するために、実に近く彼の挙動を観察した。」 モリスはさらに説明を続けた。「レーガンはもちろん、彼等が必死の思いで見つめ始めていることなど全く気付かず、これら全ての新しい人々の集まりに刺激を受けて、素晴らしい振る舞いをした。会合の終わりに、スタッフ達はレーガンが完全に自制心を失っていないでいることを認めるために、比喩的にその両手を上げた。」
※この「1987年:レーガン大統領の職務遂行不能事態発生への対応」の解説は、「アメリカ合衆国憲法修正第25条」の解説の一部です。
「1987年:レーガン大統領の職務遂行不能事態発生への対応」を含む「アメリカ合衆国憲法修正第25条」の記事については、「アメリカ合衆国憲法修正第25条」の概要を参照ください。
- 1987年:レーガン大統領の職務遂行不能事態発生への対応のページへのリンク