1982年の広島東洋カープ (1982ねんのひろしまとうようカープ)では、1982年における広島東洋カープ の動向をまとめる。
この年の広島東洋カープは、古葉竹識 監督の8年目のシーズンである。
概要
古葉監督8年目のチームは、協和発酵 の津田恒美 をドラフト1位で獲得して投手陣の強化を図り、打撃陣では前年オープン戦で負傷しシーズンを棒に振った山崎隆造 が1年半ぶりに復帰し、同じく俊足の高橋慶彦 との1・2番コンビを形成。チームは開幕から好調で、前半戦はエース北別府学 やルーキーの津田の活躍などで巨人 ・中日 と首位を争った。このまま2年ぶりの優勝かと思われたが、後半戦は山本浩二 、衣笠祥雄 、アート・ガードナー 、ジム・ライトル など主力打者が息切れした。8月中旬の8連敗で首位戦線から脱落すると、阪神 にも抜かれて4位に転落すると最後まで浮上しなかった。投手陣では北別府が20勝をあげて初の最多勝と沢村賞を獲得、津田もルーキーながら11勝を挙げて新人王に輝くなど先発陣が活躍し、チーム防御率は3.30のリーグ3位と健闘したものの、それ以外の投手が勝ち星を伸ばせなかった。打撃陣では高橋・山崎の1・2番コンビが打線の中心となり、達川光男 、長嶋清幸 、長内孝 といった若手が台頭するなど明るい話題はあったが山本・衣笠らベテラン組が後半戦以降、成績を落としたのがモロに響いた。チーム盗塁数は山崎の復帰で前年の54個から99個へと倍増したものの、本塁打は前年の181本から44本減って139本でリーグ2位に後退。シーズン終了後1979年 ・1980年 の2連覇に貢献した金田留広 や渡辺秀武 などが引退し、水谷実雄 が阪急 へ、福士敬章 が韓国球界へ移籍するなど世代交代が加速していく。
レギュラーシーズン
オーダー変遷
開幕:4/4
5/1
6/2
7/2
8/1
9/1
1
遊
高橋慶彦
遊
高橋慶彦
遊
高橋慶彦
遊
高橋慶彦
遊
高橋慶彦
遊
高橋慶彦
2
二
山崎隆造
二
山崎隆造
三
衣笠祥雄
三
衣笠祥雄
三
衣笠祥雄
二
山崎隆造
3
中
山本浩二
中
山本浩二
右
ライトル
右
ライトル
右
ライトル
三
衣笠祥雄
4
右
ライトル
右
ライトル
中
山本浩二
中
山本浩二
中
山本浩二
中
山本浩二
5
一
水谷実雄
三
衣笠祥雄
一
水谷実雄
一
水谷実雄
一
水谷実雄
一
水谷実雄
6
左
ガードナー
一
長内孝
左
長内孝
左
長嶋清幸
二
山崎隆造
右
長嶋清幸
7
三
衣笠祥雄
左
ガードナー
二
木下富雄
二
木下富雄
左
ガードナー
左
斉藤浩行
8
捕
道原裕幸
捕
達川光男
捕
達川光男
捕
達川光男
捕
達川光男
捕
道原裕幸
9
投
北別府学
投
福士敬章
投
津田恒美
投
北別府学
投
川口和久
投
福士敬章
[ 2]
1982年セントラル・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
最終成績
1位
巨人
--
巨人
--
広島
--
巨人
--
巨人
--
中日
--
2位
大洋
2.5
中日
1.0
巨人
1.0
中日
1.0
中日
4.0
巨人
0.5
3位
中日
3.0
広島
1.0
中日
3.0
広島
2.0
阪神
8.0
阪神
4.5
4位
広島
大洋
3.0
大洋
4.0
大洋
6.5
広島
11.0
広島
8.0
5位
ヤクルト
5.5
ヤクルト
7.0
阪神
4.5
阪神
7.5
大洋
13.5
大洋
14.5
6位
阪神
7.0
阪神
12.0
ヤクルト
17.5
ヤクルト
19.0
ヤクルト
23.5
ヤクルト
23.5
オールスターゲーム1982
太字 はファン投票で選ばれた選手。▲は出場辞退選手発生による補充選手。
できごと
選手・スタッフ
監督
一軍コーチ
二軍監督・コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
[ 3]
表彰選手
ドラフト
出典
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代