1917年 - 1922年
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「アウクスブルク (軽巡洋艦)」の記事における「1917年 - 1922年」の解説
1917年11月、アウクスブルクはアルビオン作戦に参加した。当時アウクスブルクは、シュトラースブルクとその姉妹艦コルベルクとともに第4偵察隊に配備されていた。1917年10月14日06:00、3隻はリガ湾での掃海作戦の護衛としてリエパーヤを出航したが、航行中にロシアの12インチ沿岸砲による攻撃を受け、一時引き返すことになった。その後8時45分にはミカイロフスク沖に停泊し、掃海艇が機雷原の撤去を開始した。2日後、アウクスブルクは戦艦ケーニヒ(英語版)とクローンプリンツ(英語版)とともにリガ湾を掃海した。戦艦がロシア海軍と交戦している間、アウクスブルクはアレンスブルクの占領を指揮する任務に就いた。 戦争を終結させた休戦協定により、アウクスブルクとスカパ・フローに抑留されていない残りのドイツ艦隊は、ドイツの主要港に戻され、武装解除されることになっていた。その後、戦争を正式に終結させたヴェルサイユ条約において、アウクスブルクは連合国に譲渡される艦に挙げられ、休戦協定の条項に従って武装解除されることになったが、砲は船内に残された。第一次世界大戦の終結後、アウクスブルクは1920年9月3日に「Y」という名で日本に戦勝艦として譲渡された。しかし日本側では運用予定がなかったため、1922年にドルトレヒトで解体された。
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