1902年ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道、グレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道及びディストリクト鉄道法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 22:03 UTC 版)
「グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道」の記事における「1902年ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道、グレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道及びディストリクト鉄道法」の解説
1901年11月、ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道は1902年の議会への個別的法律案を発表した。エンジェルへの延伸は取り下げられ、ピカデリー・サーカスから東へのこれまでとは別の路線案が提案された。この案では従来案と同様クランボーン・ストリートの下を通るものの、ロング・エイカー(英語版)及びグレート・クイーン・ストリート(英語版)の下をリトル・クイーン・ストリート(のちのキングスウェイの北側)でグレート・ノーザン・アンドストランド鉄道のホルボーン駅と接続するもので、ウォードー・ストリート(英語版)、クランボーン・ストリート及びコヴェント・ガーデンに駅を設置するものとされた。 ウォードー・ストリートから支線が南東に分かれ、ディストリクト鉄道の大深度路線とチャリング・クロス駅の東で接続し、ウォードー・ストリートには2路線それぞれのプラットホームが設けられる計画だった。南西のウォルハム・グリーンへの延伸は微修正のうえで残され、新しい路線案ではカレッジ・ストリート(のちのエリスタン・ストリート)とフラム・ロードの交差点、ネヴィル・ストリート、ドライトン・ガーデンズ、レドクリフ・ガーデンズ、スタンフォド・ブリッジ、マクスウェル・ロードに駅を設けるものとされた。地上に出る直前のウォルハム・グリーンでこの延伸線はディストリクト鉄道と接続してパーソンズ・グリーンまで両線は並行して走り、パーソンズ・グリーンから先はディストリクト鉄道に乗り入れる計画だった。延伸計画とディストリクト鉄道大深度路線のサウス・ケンジントンからアールズ・コートまでの建設期間延長がこの個別的法律案にも盛り込まれた。ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道とグレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道は共にロンドン地下電気鉄道の傘下にあったため、この個別的法律案では両社の合併と社名変更が併せて提案された。 グレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道は1902年の議会に、南の終点を既存のディストリクト鉄道半地表路線との接続のためテンプル駅に延伸することと、フィンズベリー・パークからウッド・グリーンへの区間の建設計画取り下げ、自社のもつ認可済路線を会社統合の一環としてブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道に移管することを提案した。ディストリクト鉄道は同じ1902年の議会に自社の大深度路線建設権限をブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道に移管することを提案した。 ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道の提案はウィンザー卿が指揮する委員会が審議した一方、グレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道の提案はリブルスデール卿(英語版)が指揮する委員会が審議した。ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道を東にホルボーンまで延伸してグレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道と接続する計画は認可されたが、パーソンズ・グリーンへの延伸はフラム・ロードにあった病院が、列車の振動が患者に影響を与えるとして反対したことから不認可となった。ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道をチャリング・クロスに延伸する案は既存の建物をよけるための急曲線と急勾配が含まれることから不認可となったが、グレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道とブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道を合併して社名を変更する提案は認可された。グレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道をテンプルに延伸する案は ノーフォーク公の敷地の下を通過することから却下され、フィンズベリー・パークから北の計画中止は認可された。 委員会で認可された諸提案は1902年グレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道法及び1902年メトロポリタン・ディストリクト鉄道法として1902年8月8日に国王裁可された。
※この「1902年ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道、グレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道及びディストリクト鉄道法」の解説は、「グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道」の解説の一部です。
「1902年ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道、グレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道及びディストリクト鉄道法」を含む「グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道」の記事については、「グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道」の概要を参照ください。
- 1902年ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道、グレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道及びディストリクト鉄道法のページへのリンク