1902年の探検
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 01:02 UTC 版)
「デルスウ・ウザーラ (書籍)」の記事における「1902年の探検」の解説
アルセーニエフは義勇兵部隊に編入されたのちに、地理学的・軍事的な目的で沿海州の調査を開始した。1902年の探検では、ウスリー湾を北上し、沿海州南部のハンカ湖からテルネイ湾にかけての調査を計画した。隊は兵士6名と馬4頭の編成で出発し、レフ川(現イリスタヤ川)のほとりで野営をした際に、狩猟者の訪問を受けた。彼はゴリド人のデルスウ・ウザーラと名乗り、アルセーニエフに自分の暮らしを語った。家は持たず野外で寝起きし、冬は樹皮で仮小屋を作る。父親から受け継いだベルダン銃を使い、必需品は狩りで稼ぎ、中国人からタバコや弾丸、火薬を得ていた。53歳で、家族は天然痘で亡くしていた。 アルセーニエフはデルスウに関心を持ち、彼に道案内を頼んだ。デルスウは案内人としてアルセーニエフを助け、2人がハンカ湖の湿原で猛吹雪にあった時には、小島に生える草を使って即席のテントを作り、命の危険を脱した。アルセーニエフは友人としてデルスウと交流を深め、ウラジオストックで暮らすことを提案する。しかしデルスウは町ではすることがないと断り、アルセーニエフは惜しみつつ別れた。
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