1882年-1883年
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「浅間 (コルベット)」の記事における「1882年-1883年」の解説
修理 1882年(明治15年)12月18日から横須賀造船所で修理を開始した。12月26日浅間は砲術訓練専門の練習艦となり、マストの桁の全てを撤去した。1883年(明治16年)2月16日に修理は完了した。
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1882年 - 1883年
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「天城 (スループ)」の記事における「1882年 - 1883年」の解説
修理 1882年(明治15年)2月2日から6月29日まで横須賀造船所で修理を行った。 艦隊訓練 6月16日横浜港を出港、同日清水港に入港した。同地で艦隊運動訓練を行った。6月26日清水港を出港、艦隊運動訓練を行ったが、途中一時機械故障を起こした。翌27日に品川湾に帰着した。 壬午事変 壬午事変により朝鮮水域警備を行った。8月1日横浜港を出港し。8月3日神戸港に入港、翌4日同地発8月7日木沢着、翌8日同地発、8月9日馬関着、翌10日同地発、同日朝鮮絶影島に到着した8月11日同地発、釜山浦に入港した。9月4日釜山発、6日仁川港に入港した9月7日同地発、8日大同江着、10日大同江発、一旦同地に戻り、大東江に回航した。10月11日大東江発、13日仁川港に戻った。10月24日仁川港発、翌25日豊浦着、同日発、26日南陽湾に到着した。10月31日南陽湾発、11月1日仁川港に入港した11月18日仁川発、20日釜山浦に到着した11月22日釜山浦発、11月23日門司浦に帰国した。12月7日門司浦発、翌8日長崎港に入港した。12月29日長崎港を出港し、翌30日に釜山浦に到着した 1883年(明治16年)1月5日、朝鮮釜山浦発、7日から8日は所安島、8日から9日は豊島に碇泊、1月9日に仁川湾に到着した。2月17日仁川湾発、19日釜山浦に寄港し、20日門司に一時帰国した。2月26日門司から油谷に回航、28日油谷発、小幡を経由し3月9日元山津に到着した。4月1日長箭洞に回航、翌2日に同地発、3日に釜山浦に到着した。同地で前田総領事が乗艦し4月17日統営に回航、20日に巨済島竹林浦に回航した。4月21日馬山浦に回航、22日釜山浦に到着した。5月7日釜山浦発、門司に一時帰国した。5月18日門司発、20日仁川湾に到着した。5月24日仁川湾発、25日所安島着、27日に同地発、5月28日長崎港に帰国した。5月31日長崎港を出港、門司、兵庫に寄港し、6月19日に横浜港に帰港した。
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