村医
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 21:38 UTC 版)
周防国吉敷郡鋳銭司(すぜんじ)村字大村(現・山口県山口市鋳銭司)に村医の村田孝益と妻・うめの長男として生まれる。天保13年(1842年)、防府で、シーボルトの弟子の梅田幽斎に医学や蘭学を学び、翌年4月梅田の勧めで豊後国日田に向かい、4月7日広瀬淡窓の私塾咸宜園に入る。1844年6月まで漢籍、算術、習字など学ぶ。同年、帰郷して梅田門下に復帰後、弘化3年(1846年)、大坂に出て緒方洪庵の適塾で学ぶ。適塾在籍の間に長崎の奥山静叔のもとで1年間遊学し、その後帰阪、適塾の塾頭まで進む。 嘉永3年(1850年)、父親に請われて帰郷し四辻で開業して村医となって「村田 良庵(むらた りょうあん)」と名乗る。翌年、隣村の農家・高樹半兵衛の娘・琴子と結婚した。
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